エッセイ

都内で生まれ育ち親戚も都内にいる私が、女性として生まれ落ちたことを恨んだきっかけは、親戚での集まりだった。

父方の祖父は、8人兄弟の長男。あと半年太平洋戦争が長引いていたら、特攻隊として出撃していたらしい。そのおかげで(こういう表現はよろしくないのかもしれないが)、年金は当時の最大額をもらっていたらしい。祖父はお金にうるさかった。バブル期にやってた投資がラッキーでうまくいき、それ以来"投資家"であることを誇っていた。80歳を超えても、デスクトップパソコンを見るのが日課だった。祖父が兄弟に「遺産放棄しろ」と言ってから、家族仲は悪くなっていったという。

祖父から冗談を聞いたことは一度もない。
口を開けば説教か、過去の栄光を話していた。親戚会で祖父が口を開くと、誰も口を挟まなかった。口を挟むと激高する。祖父が口を開いたら何も言わないよう、矯正されていった。祖父は、親戚の誰にも愛されていなかった。

たまに笑う祖父の笑顔が好きだった。説教はしかめっ面から始まる。しかめっ面から最も遠いのが、笑顔だった。

エッセイ

今年度の「国民負担率」48% 前年度上回り過去最大の見込み(NHKニュース)

↑この本とこの記事を読んで、今の日本が”分かって”しまった。今の日本においては、年収がいくらだろうが、会社員は日本国という民主主義国家における奴隷に過ぎないらしい。

selective focus photoraphy of chains during golden hour
Photo by Joey Kyber on Pexels.com

きっかけ

私がそう感じたきっかけは、先ほども引用したお金持ちになれる黄金の羽根の拾い方このニュースだ。だが、他にももう一つきっかけがある。

それは、会社員同士が年収の多寡でマウントを取り合い、炎上するタイムラインをたびたび目にすることだ。

「年収○○万円に言われても、説得力がない」「年収○○万円もあるんだから、これぐらい負担するの当然だろう」「あいつらは裕福なんだから、もっとあいつらから税金を搾り取れ」etc.

不毛なやり取りだなあ、と感じていた。こんな言い争いは何の解決にもならない、と。

しかし、この炎上タイムラインと、さっき引用した本とニュースを掛け合わせたとき、「もしや、この会社員の分断は、故意なのではないか?」と感じた。

エッセイ

(過去記事再掲)

「自分ってなんでこんなクズなんだろう…。」

って、自分を責めたこと、一度は皆さんあるんじゃないでしょうか。

自分で自分を責めるって終わりがなくてとっても辛いですよね。

私は自分を責めすぎて、引きこもりになりました。

自責心が強い方は、引きこもりへの一歩を歩んでいるかもしれません。

責めるわたし
「もっと上手くできなかった?」「全て活用した?」「意地を張って、使えるもの使わなかったんじゃない?」「あの人だったら達成できたと思わない?」「ほんとダメな人だよね」「なーんにもできないんだからさ」「もう何かできるなんて思い上がるの、やめたら?」 — ジャスミン (@cb_pda) 2021年9月5日

わたしは、何の実にもならないことが怖いのではなく、わたしを責めるわたしが何よりも怖い。わたしの感情、過程、結果、全てを殺しにかかってくるから。容赦なく、冷酷に押し潰してくる。わたしがコントロールできないものまで、コントロールできたはずなのに、と論理的に責めてくる。 — ジャスミン (@cb_pda) 2021年9月5日

自責癖がある皆さん、こんにちは!

私はFラン大学に通っている大学3年生、自他ともに認めるクズ野郎です!

私がどんくらいクズかというと、大学に行く日数は多くて週3。

平均週2です。履修状況は週5で入ってますが、行ってません。

ちなみに今日も昨日もおとといも大学に行ってません。クズですね。

必修科目の単位?もちろん落としてます。わぁ、クズですね!

バイトもせずサークルにも入らず、親のすねをかじって生活しています。

びっくりするくらいドクズですね!

じゃあお前は家でそんなに何をしてるんだって言われたら、簡単に言うと、現実逃避です。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

三人目は、小学生のころネトゲで知り合った、当時25歳の友人。

私は彼のことを「空さん」と呼んでいた。

彼は、私が抱いていた「大人」の幻想を打ち破ってくれた、大切な人だ。

思春期時代、ずーっと関わっており、私は兄のように慕っていた。

現在の私の性格は、かなり彼に影響されたとおもう。

私が9歳のころ、自宅にデスクトップパソコンがやって来た。

来た瞬間から、ネット社会にどっぷりとハマった。

なんでハマったかというと、

1 顔が直接見えないから、取り繕いやすい

2 顔が直接見えないから、大人と対等に話せる

この2点が主な要因だ。

というのも、私は早生まれが作用したせいか、はたまた家庭環境の劣悪さのせいか、同年代の知人と時間を共有するのが苦手だった。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

二人目は、同じく中学生の頃の担任の先生。

私が中学2年生のころ、30代前半だった男性だ。

彼の名字は、一人目の女性と違って、覚えている。

ヤマネ先生。

私は、中学2年生のころ、いじめにあっていた。

いや、”いじめ”というと大げさかもしれない。

しかし少なくとも私が発表するときいじめの主犯格と仲のいい人からは嘲笑が起こったし、無視されることもあった。

私の容姿で特徴的な部分を、私のあだ名にして陰口を言っていることもあった。

そうされることに、私は傷付いていた。

そういうことがあったのは本当だ。

そういったことがあったから、嘲笑が起こらないよう自意識過剰になったり、周囲の人をよく疑うようになった。

しかし負けん気が強かった私は、嘲笑されても「ええ~、いじめ?ウケる~」ぐらいの態度でいるようにしていた。

「修学旅行のグループアイツと一緒かよ、ありえねえ~」と言われても、無表情を貫いていた。

「私を傷付けることができた」

そう思われないようにするために。

いじめの主犯格やその周辺がどうしようが、わりとどうでもよかった。

集団にならないと私に対抗できない人の意見は耳に入れないようにしているからだ。

しかし、「あの人いじめられているのね、可哀そうに」という視線には耐えられなかった。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

一人は、中学生のころの国語の教師。

その人は、私が中学生当時、60代後半の女性だった。

生徒からは、少しバカにされていた。

というのも、吃音症っぽかったからだ。

発音1つ1つが大げさで、ゆっくり話す。

私はそれが好印象だったが、他生徒はそうでもなかったみたいで、早口に話せない彼女をバカにしているようだった。

今となっては苗字すら覚えていないその女性の何が印象的だったかというと、子どもに向ける姿勢だ。

私は、その先生が担任の先生だったわけではないが、なぜか好きだった。

気になっていたといってもいい。

友人が少なく、暇さえあれば図書室に向かう私は、その先生に「おすすめの本を教えてください」とよく話しかけていた。

その先生は、私の視野をずいぶんと広げてくれた。

最初におすすめしてくれた本は、「蝉しぐれ」だ。

中学2年の子どもに向けておすすめする本ではなかったと思う。

でも、彼女は、「中学2年生の子ども」ではなく、「わたし」を見てこの本を紹介してくれたのだと思った。

そのほかの先生は、「中学2年生の子ども」を相手していた。「わたし」ではなく。

少なくとも私はそう感じていた。

そんな中、彼女は、対等である1人の人間を相手にしていた。

学生を侮るでもなく、期待するでもなく、等身大の「人」として見る。

その姿勢を、私は何より好んでいた。

次に薦めてくれた本は、日本人が南極に行ってイヌイットとともに暮らすドキュメンタリーだった。

エッセイ

母が、家を出ていった。

寂しさと、ホッとした気持ちがあった。

もう母が壊れることはない。これで安心だ、そう思った。

強烈に寂しい。しかし、時間が経てば。

そう思っていた。

なのに、母は帰ってきてしまった。

母の気配を感じた私は、玄関のドアを勢いよく開ける。

くたびれた洋服を着ている、いつもの母が、そこにいた。

「もういい!

 もう、いいよ!・・・・・・もう、いいの。」

涙が込み上げる。

なんで帰ってきたの!

嬉しい。また会えて、嬉しい!

そんな気持ちが、同時に湧きあがる。

でも、もういい。本当に、もういいの。

もう、楽になってほしい。

なのに、帰ってきてしまった。

「もういい、

 もう、いいのに・・・」

泣き崩れる私を見て、

母は、今までに見たことのない穏やかさで、私に近づく。

『ねえ、私たちって、みんなに見えていないものが見えているみたい。』

『だから、しょうがないのよ。』

母が軽快に、優しく笑う。

電撃が走る。

ああ、お母さん!

やっと、分かってもらえた!

何をどうしても、この人には伝わらない。

何度も無力感に襲われた過去が、今までの苦心が。

ここにきて初めて、"報われた"。

私は、もう言葉を発することができず、

ただ、泣くことしかできない。

母は、仕方ないわね、と笑っている。

ああ、なんて、あたたかい。

きいろい光に包み込まれる。

私は、私はずっと、

誰かに私と同じ目線に立ってもらいたかったんだ。

ずっと、寂しかったんだ。

そして、その「誰か」は、できることならあなたがよかったんだ。

包み込まれて、寒かった私に気付く。

今、こんなにあたたかい。

母が、ゆっくり近づいてくる。

涙は、しばらく止まりそうにない。

エッセイ

今まで生きてきた人生の中で、忘れられない言葉がいくつかある。

その中の一つが、この一言。

「死にたいと思うのは、病気だよ。」

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私は、小学5年生のとき、好きな男性にこういう手紙を送ったことがある。

「死にたくてたまらない、どうしたらいいのか分からない。辛い。」

(冷静に考えると、当時の私、かなりの限界を迎えてますね…。)

当時の私は、どこかで吐き出さずにはいられなかった。

苦しい。生きていてはいけない気がする。死ななければいけない。でも、死ぬ覚悟もない。ああ、死ぬことすらできないなんて、情けない。早く死ななきゃいけないのに。

常に体が重くて、辛くて。そんな状態に耐えられなかった。

私には、小学生のころの記憶があんまりない。

覚えているのは、人と一緒にいることが苦痛で、家に直接遊びの誘いに来る同級生を居留守して断ったり、放課後は静かな図書館にこもったり、一人になりたくて放送室にこもったりしていた記憶ぐらいだ。

当時の写真を見ると、表情が抜け落ちていて、貞子みたいな自分がそこにいる。

小さい頃のわたしの話を聞くたび、本当にそれはわたしか?現世の生き物か?そりゃ卒業写真が貞子みたいなわけだ、と思う。
家族崩壊してて辛かったんだろうな、笑えるけど笑えないな、というのが素直な感想。人の原点は幼少期にあると言われたら困る。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年4月11日

当時は、ゲームの世界を生きているんだと思い込んでいた。この人たちはゲームのキャラクターで、プログラミングされている存在なんだと。わたしにとって会う人間すべて、村人Aだった。人の発言すべてを、その人の利はどこに隠されているんだろうと考えながら聞いていた。冷たい世の中に絶望していた。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年4月11日

他人を、リアルに生きている生物だと感じていなかった。

プログラミングされている存在。

今その人が笑ったのは、書き込まれているコードに沿っただけ。

そう認識していた。

この、リアルとは思えないモノたちは、どう反応するようにプログラミングされているのか?

このモノたちは感情を表しているようだけど、だからといって心があるといえるのか?

そう考え、他人と接していた。

他人を"そういうモノ"と認識していたから、今思えば、小学校のとき、友人はいなかったと言える。

他人と仲良さそうに話すことはできる。

それでも、友人ごっこ、親友ごっこの域を出なかった。

「相手が言われて一番嫌なこと」を相手が一番傷つく方法で言って、逆上させるのが趣味だったときもあった。
人間の感情が分からなかったから、一番側から見て分かりやすい怒りという感情を試してたんだよね。
そして、自分の発言で人の感情を動かせるのか、っていうのも分かりやすく見てみたくて。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年11月1日

↓そこらへんは、過去記事参照。

なぜ当時の私は死ななければならないと思い込んでいたのか?

それは、家族崩壊が主な要因ではあったんだと思う。

早朝から深夜まで仕事の父。家事と仕事に追われる母。反抗期の姉。

私は、家族が喧嘩する姿を認知したくなかった。

家族が喧嘩するたび、「私が生まれてきたからいけないんだ」と感じていた。

「私がいなければ、彼らは喧嘩する必要なんてなかったはず」「ごめんなさい」「生きていてごめんなさい」と、自分を責めた。

喧嘩している姿を見ていられないから、家に帰ればすぐ自室にこもるようにした。

ドアを閉じても壁を通って聞こえてくる、怒号。

喧嘩を認識したくない一心で、「あーーーー」と、小さく口に出し、耳を塞ぐ。

それでも聞こえてくる恫喝と金切声に、いつも声を上げずに泣いていた。

声をあげて泣いたら、泣いていることが家族にバレてしまうから。

泣けば頭がぽやーっとし、何も考えず、何も感じず、寝ることができたから、意識して泣くようにしていた。

でも、一回だけ、父に泣いていることがバレてしまったことがある。

「なんで泣いているの?」

『なんでもない』

「なんでもないわけないでしょ?」

『なんでもないって言ってる!』

 静かに私を抱きしめる父。

『もう!もうやだ、死にたい!』

 泣いて暴れる私。

「死にたい?本当にそう思うの?」

 私の顔を覗き込む父。

『…』

 目を背ける私。

「もし本当に死にたいと思うなら、それは病気だよ。」

 真剣な表情の父。

そのときの私が、この一言をどう捉えたのかまでは、覚えていない。

ただ、あの時抱きしめてくれた父の温もりは、今でも覚えている。

そして、年を重ねていくにつれ、その一言を思い出してホッとするようになった。

ああ、これって病気なんだ。

私だけじゃないんだ、と。

社会人になった今も、死にたい私が表出してくるときがある。

例えば、睡眠不足のとき。体調が悪いとき。姿勢が悪くなってるとき。

死んでしまえば楽なのになあ。終わりにしたいなあ。

そう思うときがある。

それでも、あの一言のおかげで、死と一線引くことができる。

ああ、病気の私が出てきているなあ、と自分を客観視できる。

そして、気付く。

あの頃の死にたさに比べたら、こんなのかわいいもんだなあと。

あの頃は、身動きが取れないぐらい体が重かった。

それがずいぶん、軽くなったもんだ。

それでも、ハッとするときがある。

死にたいという気持ちになったことがない人と話すとき。

皆、心の中では「死にたい」と思っているけど、口にしていないだけだと思っていたのに、この気持ちは人類共通じゃないんだった"と気付かされるとき。

もしかしてこの症状を抱えて生きていくのって、かなりのハンデなんじゃないか、と思うときもある。

その上で、もし死にたいと思っている人が私以外にもいるなら、私はその人に言いたいことがある。

死にたい気持ちは、病気です。

それは決してあなた一人だけが抱える病気ではありません。

ですが、その気持ちは人類共通でもありません。

死にたい気持ちを分かりあってくれる人は、あんまりいないです。

だから、孤独を感じることが多いと思う。

今も「死にたい」でググっているあなたは、迫りくる孤独をなんとかしたいんじゃないかな。

体が重いでしょう。息苦しいでしょう。自分の手で自分の首を絞めると、楽になるでしょう。感情が遠いものに感じるでしょう。

それ、病気です。

体が重くてやるべきことができないのは、決してあなたがクズだからとか、できないヤツだからとかじゃないよ。

そういう病気なの。

もう、否定しないであげて。

それはとっても苦しいことだから。

自分で自分の首を絞めるのは、あなた自身で辞めない限り、終わりがない。

あなただけは、なんとか頑張って生きているあなたを、どうか認めてあげてね。

そして、ここまで「病気です」と伝えてきたけど、もしそれが嫌だと感じるなら、私の意見に納得なんてしないでほしい。

あなたが一番実感していて、分かってあげられるはずの"あなた"を、他人が勝手に行ってくる定義にわざわざはめ込む必要なんてないのだから。

エッセイ,ライフハック

「ああ、明日、友人と会うのを予定していたけど、全然体が動かないな…」

「全然行きたくないな…」

「心底面倒くさい…」

もしそうなら、「体調が悪いから行けなくなった」と言って、断っていい。

私は、胸を張ってそう主張します。

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体が動かない

「風邪」を理由に遊びを断るのと、「行きたくない」を理由に遊びを断ること。

この2つに、違いがありますか?

断る理由として、どちらも「体がうまく動かない」し、「遊びに行った後、悪化する恐れがある」という点で、何ら変わりないと思いませんか。

寒気がして、頭が痛くて、体が鈍い。

お風呂に入るのが面倒くさくて体が動かない。心が躍らない。ベッドから動けない。

この両者は、言葉にすると一見異なるように見えますが、体の状態としては同じです。

どちらも結果として、「体が動かない」。

最近では健康的な生活が流行っていますが、体が不調なときケアするのが当たり前なら、同様に、心が不調なときにもケアするべきだ、と私は思います。

心が不調なとき、無理は禁物です。

心が不調なときに無理をすると、どんどん心が麻痺していき、悪化する。

「何故だかわからないけど調子が悪く、何をやってもうまくいかない」と感じることが増えていく。

体が不調なときと、心が不調なとき、するべきことは変わりません。

そういうときにすべきことは、無理して誰かに合わせるのではなく、休息をとり、自分を癒すのに注力すること。

私だったら心が不調なとき、ハーブティーを飲み、部屋の電気を消し、アロマとキャンドルを焚きます。

頭から離れない事柄があるならば文字にするし、どうしようもない不安とじっと向き合う。

ストレッチをし、背の高い木に囲まれるような場所へ行き、散歩をする。

何度見ても爆笑できる動画を見る。映画を見る。楽しかった思い出の写真や動画を眺める。

肩まで湯船に浸かる。iPhoneの電源を消す。白湯を飲む。掃除をする。ひたすら寝る。

休息をとるために、まずはあなたの心が不調なことに気付かなくてはいけません。

なんだか元気が出ない。

肩が重い。

いつもだったら笑えるときに笑えない。

言葉がうまく出てこない。

読書に集中できない。

友人に会いたいと思えない。

低気圧。

日光を浴びていない。

季節に合った服を着ていない。

心が不調なのは、色んな要素が考えられます。

一日一回のルーティーンとして、あなたの心に目を向けて、あなたの体に注意を向ける時間をつくりましょう。

朝起きたときの肩の凝り具合、玄関を出るときの気分、トイレで一人になったとき、お風呂に入る前、寝る前などに、いつもの自分と今日の自分はどう違うか、感じてみましょう。

そして、もしあなたの心が不調なことに気付いても、決して元気になろうとしないでください。

無理に心を励まそうとしないでください。

生きていれば、元気がないときだってある。

それは当たり前のことで、なにも悪いことではありません。

「心に無理な力をかけること」は、あなたの意図と逆の方向にいってしまうことが多い。

だから、心と向き合うとき、無理は禁物。

ただただ、あなたは疲れているんだということを認めてみましょう。

そして、あなたに不調なときがあるのと同じように、あなたの友人も不調なときがあります。

もし予定の直前に「体調が悪いから行けなくなった」と言われても、それを当たり前のように受け入れるあなたがいるならば、相手もあなたが不調なとき、当たり前のように受け入れてくれるでしょう。

しかし、それを当たり前のように受け入れてくれない人は、もちろん存在します。

そういう人との関係を続けることは、あなたが無理をしなければならない場面が今後も出てくることを意味します。

それでもその人との関係を続けるのか、続けないのか。

その人との関係で得られるメリットやデメリットを踏まえて、考えていきたいですね。

まあでも、ここまで言ったが、無理をすべきときもあります。

もちろん、無理をすべき場で無理をしないという方法もある。

塩梅を考えて、できるだけ無理をしない生活を一緒に送っていきましょうね。

エッセイ,習慣化

1年前まで同じ国家試験を目指し、勉強を教えあい、授業も一緒に受け、一緒に夢を見ていた友人から、国家試験の1次試験に受かった、という話を聞いた。

私は国家試験の勉強に絶望し、とっくに諦めていた。

しかし、友人は本当にいい人だし、「ぜひ、合格してくれ!!」と、心から応援していた。

応援していたはずだった。だが、いざ「試験に受かった」ということを聞くのは、すこし、辛かった。

いや、かなり辛かった。

ビックリして、すごいと思って、辛いと思った。

そのあとに、ああ、喜ばなくては、と思った。

試験を諦めたくせに、なぜつらいと感じるのか?と言われたら、頑張った人と頑張っていない人の差を感じさせられるから辛いのだ。

私は、何度も言うが、家に長い間引きこもっていた。

引きこもりを脱却し、大学に単位を取りにいくために外にでるとき、強く感じたことがある。

何もしてなかった人と、何かをしていた人との差は、とてつもないということだ。

そして今日、改めてこのとてつもない差を、思い知らされている。

私とその受かった友人は、大学で知り合った。

なんなら、同じ国家試験を目指す研究室で、知り合った。

最初から、国家試験を目標にする同志だった。

だから、話題として挙がるのも当然、国家試験の話だ。

「これ受かったらどうする~?とりあえずホームパーティはしようよ!?」

「絶対高層マンションに住むでしょ?そしたら夜景ばっちしじゃん」

「ワインとかチーズとか持っていくよ」

そんな話を、いつもしていた。楽しかった。

「出張とかして、イケメン上司とワンチャンあったりするのかな!?」

「受かったらお金ウハウハだよ、旅行しまくるしかないね??」

「働きだしたらイケメンとたくさん出会えるっしょ~!!」

「合コンしまくるぞ!!」

こんな話ばっかり。こうやって一緒にばかみたいな夢をみていた。

たのしかったなぁ、本当に。

私にとっては夢物語だった。

でも、その友人は、これを現実にするんだろう。

こうやって、差はひらいていく。

その差は、「やったか」「やっていないか」だけだ。

才能とか、頭の良さとか、向いてるとか向いてないとか、そんなんじゃない。

いや、頭がいいから、やったほうがいいっていうのは分かったのかもしれないけど。

実際に「やった」人は、「やってない」人より、常に3歩先を行っている。

講師はよく言っていた。

「今点数良い人が受かるんじゃない。やり続けた人が受かるんだ。」

ほんとうに、その通りなんだと思う。

私は正直、その友人より基本的に点数や順位はよかった。

友人は、それに悩んでいたと人づてに聞いた。

私よりやっているのに、私より上に行けない、と。

でもごらんのとおり、そんなのは合否にカケラも関係がないんだ。

友人は、「私は効率的にはできないから、とにかくやるしかない」と言っていた。

その友人は、事実やり遂げたんだろう。

私が、足を止めている間に。

「やったか」「やってないか」

これだけ。簡単な話。

涙が出そう。簡単だなぁ、ほんとうに。

しかし、そうやって簡単な話だと思い込んで、「サクセスストーリー」と「挫折人生」に落とし込んで納得するにはまだ早い。

なぜ友人は合格できたのか?

なぜ私は、諦めてしまったのか?

これをハッキリさせないと、私はまた同じような失敗を繰り返してしまうだろう。

それは、もう、したくない。

同じ過ちはしない。

それを信条に生きているので、つらくても、分析します。

なぜ友人は合格できたのか?

上記で言った通り、「やった」「やらなかった」

試験や資格においては、これがすべてだと私は思っている。

なぜ友人が合格したか、それは、継続して「やった」からだ。

では、質問を次の展開に進めよう。

なぜ、友人は「やり続ける」ことができたのか?

まずは、私と友人の相違点を挙げていこうと思う。

友人

  • 国家試験勉強における人脈を広げていた
  • 朝から勉強をしていた
  • 気分転換をよくしていた(友人と会ってご飯する、友人と話す)
  • 気分転換の次の日は、しっかり勉強していた
  • 友人に国家試験の勉強をしていることを宣言していた
  • 長期的に勉強から離れることをしなかった
  • 優先順位をつけていた(大学の授業は全くでない代わりに勉強する等)
  • 1日まるまる休むことは滅多になかった

  • 国家試験勉強における人脈を狭めたかった(嫌でも比べてしまい、辛かった。自分がどう評価されているのか、気にしていた。)
  • 朝から勉強することは滅多になかった
  • 気分転換ができなかった(勉強をしていないというのが恐ろしい。頭の中に勉強時間を考える自分がいつも居て、完全に勉強から離れられなかった。)
  • 気分転換が長続きしてしまっていた(1日休むと、連続して3日休んでしまう)
  • 友人に国家試験の勉強を宣言しなかった(逃げられるようにしておくため。もし合格しなかったら恥ずかしい。)
  • 長期的に勉強から離れた(そして戻れなくなった)
  • 優先順位をつけていた
  • 1週間に1日は、まるごと休む日がほしかった

私はこの中で、以下の2つの点をピックアップしたい。

・人脈

・習慣化

人脈の重要さについて

最近気づいたことだが、人脈とは、継続において重要なポイントである。

人というのは不思議なもので、人との繋がりがあると、頑張ることができるのだ。

私の知っている人で、国家試験に受かっている人はみんな、仲間と励ましあい、切磋琢磨している人しかいない。

人との関わりを避けている人は、合格しているイメージがない。

合格する前に、諦めてしまうのだ。私のように。

また、人との関わりを避けると、独自の道を進んでしまう。

問われない論点に集中したり、また、難しすぎる問題に集中するあまり、解けなくてはならない問題まで手が回らなかったりする。

そうすることで、合格から遠ざっていく

あなたが、1人で「成功しよう」と考えてるとする。

しかし、もし成功しなくても、その責任はあなた1人で足りる。

「成功しなくても被害は私だけ」だから、諦めやすいのだ。

足を洗いやすいのだ。

しかし、チームで「成功しよう」と考えてるとしよう。

もし成功しないと、その責任はチーム全体に及ぶ。

その責任感から、1人で成し遂げようとする人より、頑張れる。

そして、諦めにくい。

だから、仲間と切磋琢磨するというのは正しい方法だと思う。

そして、自分が分からないことは仲間に聞く、というのもいい方法だ。

とにかく、「自分の中で完結しないこと」が大事だ。

なんでもいい。

「ここわかんないんだけど、わかる?」

「これね!私もわかんなかった。先生に聞きにいかない?」

こんなやり取りでもいい。そうやって、一緒に頑張っていければ。

そして、「この人に負けられない」

そういう気持ちがあれば、人は成長していけるのだと思う。

私は、人脈が広がることを避けたがった。

私よりすごい人がいることに耐えられなかったからだ。

私が今日、6時間勉強したことに達成感を得ていても、当然のように8時間勉強している人がいることに耐えられなかった。

そして、その2時間の差を、「まあ大丈夫っしょ」と楽観視できる人でもなかった。

今日平均点以上が取れていても、明日も取れるとは思えない人だった。

そして、平均点以上では満足できない人だった。

テストで9割取るために、がむしゃらで無鉄砲な計画を立てた。

その計画は当然のごとく達成できず、「私はなんて無力なんだ」と感じる人だった。

いまなら、どうすればよかったのかわかる。

自分の勉強法を疑ってしまうなら、講師を頼ればよかったのだ。

講師が頼れないなら、先輩を頼ればよかったのだ。

自分の立てた計画がダメだったなら、

それもまた講師に聞けばよかったのだ。

自分の取った点数以上の点数が取りたいなら、

講師に直接聞けばよかったのだ。

「どうしたらこれ以上の点数が取れるようになりますか」と。

これだけだった。

自分の好きな講師を頼れば、もっと簡単な話だった。

それを、素人なのに自分で計画を立て、勉強法を考えて実行した。

当たり前だが、思うような成果が上がらず、結果、自己嫌悪におちいってしまった。

こうして私は、「正しい道」ではなく、「正しいと思い込んでいる道」を歩んでしまった。

「正しい道」は、専門家や人との繋がりで見つけるものだ。

「正しいと思い込んでいる道」は、1人で作り上げるものだ。

教訓:「このやり方で合っているのかな?」一瞬でもそう思ったら、専門家にすぐ聞こう。

習慣の重要さについて

では、私が諦めてしまったのは、人に頼ることをしない上に、友人より意志が弱かったからだろうか?

人脈も諦める一因であったとおもう。

しかし、意志は全く関係ないだろう。

というのも、私も彼女も本気で、国家資格を取得しようとしていた。

そして彼女は合格し、私は既に国家資格を諦めている。

この違いは何か?

私は、友人と違って、「習慣化」ができなかった。

試験勉強を、日常に組み込むことができなかったのだ。

そして、意志の力に勉強をゆだねてしまった。

これが、彼女と私の決定的な違いだ。

朝起きて、「今日勉強する?」と考え、「うん、しようか」

これが、意志の力にゆだねるということ。

勉強の習慣化というのは、当たり前のものとして勉強をすることであり、勉強する前に「今日勉強するか?」という問をしないこと。

意志の力に頼るというのは、継続しない。

そのときの気分に左右されるからだ。

一方で、習慣に気分は関係ない。

あなたが歯を磨くとき、「今日は歯を磨こうか?」とは考えないはずだ。

気分が乗らないから歯を磨かない、なんてことはないだろう。

その問をなくして、すでに行動にうつしている。

私は「勉強するかどうか」を、意志の力にゆだねてしまった。

それが諦めることにつながった大きな原因だった。

ていうかほんとそうじゃん。私、習慣化、下手なんだ。

ダイエットも、短期的には成功した。

でも、常に45kgでいられたかって言われたら、無理だった。

ランニングは、2か月が最長だった。

スクワットも、気付いたら辞めていた。

ああ、いますごく思い知らされました。

私が習慣化があまりに下手だということを。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

―――マザーテレサ

 人の本性はみなほとんど同じである。違いが生じるのはそれぞれの習慣によってである。 

―――孔子

 成果をあげる人の共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で、必要とされている習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知る限り、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の蓄積である。習慣的な能力は、常に習得に努めることが必要である。習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。 

―――ピーター・ドラッカー

習慣はあなたを形作る。

私はいま、引きこもりという怠惰の習慣から抜け切れてない。

今日、習慣化によって開いた友人との差を目の当たりにし、つらくなった。

ほんとに辛いよ。

友人はいい人で好きなのに、心から喜べなくて、ごめんなさい。

喜びより焦りや絶望が強くて、ごめんなさい。

あなたに顔向けできるほど、まだ私は自分に自信が持てない。

自分に自信がない状態で会っても、苦しいだけだ。

なので、習慣化について勉強します。

そして、実践していきます。私も身につけたい、習慣化する方法を。

習慣化が下手で失敗してきて引きこもっていたこんな私でも習慣化する力を身につけて目標達成することができたなら、誰にだって目的達成はできるってことになるはず。

いいですね、こういう思考。

「私のために」目的を達成するんじゃなくて、「みんなのために」習慣化を身につけようっておもうのって、なんだかすごく励みになります。

正直記事を書いていてとてもつらかったけれど、自分になにが足りなくて失敗したのかわかってよかったです。

では、本日の記事のまとめに入ります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

まとめ

友人は、仲間との関わりのなかで切磋琢磨し、勉強を日常化することで国家試験に合格できた。

私は、仲間を恐れ、講師に頼らず、

1人の力で成し遂げようとしたので失敗した。

そのうえ、勉強を日常化することができず、意志の力に頼っていた。

私が諦めてしまった原因は以下の2つ。

・人との繋がりを作らなかったこと

・意志の力に頼り、習慣化できなかったこと

友人が合格した理由として考えられるのは、

・とにかく「やり続けた」

・やり続けるための環境をうまく使っていた(人脈、休息)

もし困難な目標を達成したいなら(プログラミング取得、英語取得、国家試験合格…)、

・目標達成に近づけるコミュニティに属し、「自分の中で完結させない」ことを徹底すること。

・自ら「やり続けることができる」環境に身を置くこと。

・自身を追い込まず、習慣化し、自らの生活に取り込むこと。

この3つを心がけると良いだろう。

悩んでいる方々の参考になれば嬉しいです。

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