わたしにとっての「大人」②

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

二人目は、同じく中学生の頃の担任の先生。

私が中学2年生のころ、30代前半だった男性だ。

彼の名字は、一人目の女性と違って、覚えている。

ヤマネ先生。

私は、中学2年生のころ、いじめにあっていた。

いや、”いじめ”というと大げさかもしれない。

しかし少なくとも私が発表するときいじめの主犯格と仲のいい人からは嘲笑が起こったし、無視されることもあった。

私の容姿で特徴的な部分を、私のあだ名にして陰口を言っていることもあった。

そうされることに、私は傷付いていた。

そういうことがあったのは本当だ。

そういったことがあったから、嘲笑が起こらないよう自意識過剰になったり、周囲の人をよく疑うようになった。

しかし負けん気が強かった私は、嘲笑されても「ええ~、いじめ?ワロタ~」ぐらいの態度でいるようにしていた。

「修学旅行のグループアイツと一緒かよ、ありえねえ~」と言われても、無表情を貫いていた。

「私を傷付けることができた」

そう思われないようにするために。

いじめの主犯格やその周辺がどうしようが、わりとどうでもよかった。

集団にならないと私に対抗できない人の意見は耳に入れないようにしているからだ。

しかし、「あの人いじめられているのね、可哀そうに」という視線には耐えられなかった。

その視線が一等強かったのが、30代前半の男性、つまり担任の先生だった。

帰りの会が終わって、担任に声をかけられた。

「ちょっと今いいか?」

そういわれて、放課後に呼び出された。

今まで1回もなかった呼びかけだった。

「最近、元気ないが大丈夫か?」

先生らしくない、とてもあいまいな質問だった。

私は普段から目的語の抜けた質問をよくされるたちで、とてもあいまいな質問であったのに、“男子が集まって私をいじめていること"が大丈夫かどうかを聞いているのだと気付いてしまった。

その時の目が、許せなかった。

”私のことを心配している”と見せかけているが、本当に心配しているのは自分の評判なのではないか。

そう思わざるを得ないような眼をしていた。

生徒の心配より、自分の将来の心配というわけだ。

そういうのを察する力が鋭いのは子どものほうだということを、彼は忘れてしまったんだろう。

「何を言いたいのか分かりませんが、大丈夫です。」

「部活があるんで、もういいですか?」

私はキレた表情で、突き放すように告げた。

「何かあったら、言うんだぞ。」

そういって、普段強気な彼は、弱気にそう言って帰っていった。

その日、憐れみの対象にされたのが悔しくてめちゃくちゃに泣いたのを覚えている。

どんなことをされても無表情を貫いて、「傷付いていませんよ」という仮面をかぶって。

他人からしたらとってもくだらないけど、私にとって大事な意地を。

中学2年生の私が持ち出した精一杯の意地を、すべて覆されたのだ。

わたしはめちゃくちゃに泣きながら、こう思ったのを覚えている。

「安心しろよ。

わたしは『男子に虐められています』と公表するつもりも、アンタに助けてくださいと縋る気も無い。

アンタに何の害も無いだろう?

だから、まるで何もなかったかのように接してくれ、頼むから。」

それ以来、彼と2人で話すことはなかった。

哀れな存在として扱われるのは、耐えられないものだった。

私にとって、一番の屈辱だった。

それ以来、私はどんな相手を目前にしても、憐れむようなことはしないと決めている。

私が誰かのことを「かわいそう」という時は、その人のことをめいいっぱい傷付けたい時だ。

わたしのなかでイメージする「大人」のうち、二人目。

30代前半の、自分のことで精一杯な彼のすがたが浮かんでくる。