エッセイ

都内で生まれ育ち親戚も都内にいる私が、女性として生まれ落ちたことを恨んだきっかけは、親戚での集まりだった。

父方の祖父は、8人兄弟の長男。あと半年太平洋戦争が長引いていたら、特攻隊として出撃していたらしい。そのおかげで(こういう表現はよろしくないのかもしれないが)、年金は当時の最大額をもらっていたらしい。祖父はお金にうるさかった。バブル期にやってた投資がラッキーでうまくいき、それ以来"投資家"であることを誇っていた。80歳を超えても、デスクトップパソコンを見るのが日課だった。祖父が兄弟に「遺産放棄しろ」と言ってから、家族仲は悪くなっていったという。

祖父から冗談を聞いたことは一度もない。
口を開けば説教か、過去の栄光を話していた。親戚会で祖父が口を開くと、誰も口を挟まなかった。口を挟むと激高する。祖父が口を開いたら何も言わないよう、矯正されていった。祖父は、親戚の誰にも愛されていなかった。

たまに笑う祖父の笑顔が好きだった。説教はしかめっ面から始まる。しかめっ面から最も遠いのが、笑顔だった。

エッセイ

(過去記事再掲)

「自分ってなんでこんなクズなんだろう…。」

って、自分を責めたこと、一度は皆さんあるんじゃないでしょうか。

自分で自分を責めるって終わりがなくてとっても辛いですよね。

私は自分を責めすぎて、引きこもりになりました。

自責心が強い方は、引きこもりへの一歩を歩んでいるかもしれません。

責めるわたし
「もっと上手くできなかった?」「全て活用した?」「意地を張って、使えるもの使わなかったんじゃない?」「あの人だったら達成できたと思わない?」「ほんとダメな人だよね」「なーんにもできないんだからさ」「もう何かできるなんて思い上がるの、やめたら?」 — ジャスミン (@cb_pda) 2021年9月5日

わたしは、何の実にもならないことが怖いのではなく、わたしを責めるわたしが何よりも怖い。わたしの感情、過程、結果、全てを殺しにかかってくるから。容赦なく、冷酷に押し潰してくる。わたしがコントロールできないものまで、コントロールできたはずなのに、と論理的に責めてくる。 — ジャスミン (@cb_pda) 2021年9月5日

自責癖がある皆さん、こんにちは!

私はFラン大学に通っている大学3年生、自他ともに認めるクズ野郎です!

私がどんくらいクズかというと、大学に行く日数は多くて週3。

平均週2です。履修状況は週5で入ってますが、行ってません。

ちなみに今日も昨日もおとといも大学に行ってません。クズですね。

必修科目の単位?もちろん落としてます。わぁ、クズですね!

バイトもせずサークルにも入らず、親のすねをかじって生活しています。

びっくりするくらいドクズですね!

じゃあお前は家でそんなに何をしてるんだって言われたら、簡単に言うと、現実逃避です。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

三人目は、小学生のころネトゲで知り合った、当時25歳の友人。

私は彼のことを「空さん」と呼んでいた。

彼は、私が抱いていた「大人」の幻想を打ち破ってくれた、大切な人だ。

思春期時代、ずーっと関わっており、私は兄のように慕っていた。

現在の私の性格は、かなり彼に影響されたとおもう。

私が9歳のころ、自宅にデスクトップパソコンがやって来た。

来た瞬間から、ネット社会にどっぷりとハマった。

なんでハマったかというと、

1 顔が直接見えないから、取り繕いやすい

2 顔が直接見えないから、大人と対等に話せる

この2点が主な要因だ。

というのも、私は早生まれが作用したせいか、はたまた家庭環境の劣悪さのせいか、同年代の知人と時間を共有するのが苦手だった。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

二人目は、同じく中学生の頃の担任の先生。

私が中学2年生のころ、30代前半だった男性だ。

彼の名字は、一人目の女性と違って、覚えている。

ヤマネ先生。

私は、中学2年生のころ、いじめにあっていた。

いや、”いじめ”というと大げさかもしれない。

しかし少なくとも私が発表するときいじめの主犯格と仲のいい人からは嘲笑が起こったし、無視されることもあった。

私の容姿で特徴的な部分を、私のあだ名にして陰口を言っていることもあった。

そうされることに、私は傷付いていた。

そういうことがあったのは本当だ。

そういったことがあったから、嘲笑が起こらないよう自意識過剰になったり、周囲の人をよく疑うようになった。

しかし負けん気が強かった私は、嘲笑されても「ええ~、いじめ?ウケる~」ぐらいの態度でいるようにしていた。

「修学旅行のグループアイツと一緒かよ、ありえねえ~」と言われても、無表情を貫いていた。

「私を傷付けることができた」

そう思われないようにするために。

いじめの主犯格やその周辺がどうしようが、わりとどうでもよかった。

集団にならないと私に対抗できない人の意見は耳に入れないようにしているからだ。

しかし、「あの人いじめられているのね、可哀そうに」という視線には耐えられなかった。

エッセイ

今まで生きてきた人生の中で、忘れられない言葉がいくつかある。

その中の一つが、この一言。

「死にたいと思うのは、病気だよ。」

man sitting in front of window
Photo by Aidan Roof on Pexels.com

私は、小学5年生のとき、好きな男性にこういう手紙を送ったことがある。

「死にたくてたまらない、どうしたらいいのか分からない。辛い。」

(冷静に考えると、当時の私、かなりの限界を迎えてますね…。)

当時の私は、どこかで吐き出さずにはいられなかった。

苦しい。生きていてはいけない気がする。死ななければいけない。でも、死ぬ覚悟もない。ああ、死ぬことすらできないなんて、情けない。早く死ななきゃいけないのに。

常に体が重くて、辛くて。そんな状態に耐えられなかった。

私には、小学生のころの記憶があんまりない。

覚えているのは、人と一緒にいることが苦痛で、家に直接遊びの誘いに来る同級生を居留守して断ったり、放課後は静かな図書館にこもったり、一人になりたくて放送室にこもったりしていた記憶ぐらいだ。

当時の写真を見ると、表情が抜け落ちていて、貞子みたいな自分がそこにいる。

小さい頃のわたしの話を聞くたび、本当にそれはわたしか?現世の生き物か?そりゃ卒業写真が貞子みたいなわけだ、と思う。
家族崩壊してて辛かったんだろうな、笑えるけど笑えないな、というのが素直な感想。人の原点は幼少期にあると言われたら困る。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年4月11日

当時は、ゲームの世界を生きているんだと思い込んでいた。この人たちはゲームのキャラクターで、プログラミングされている存在なんだと。わたしにとって会う人間すべて、村人Aだった。人の発言すべてを、その人の利はどこに隠されているんだろうと考えながら聞いていた。冷たい世の中に絶望していた。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年4月11日

他人を、リアルに生きている生物だと感じていなかった。

プログラミングされている存在。

今その人が笑ったのは、書き込まれているコードに沿っただけ。

そう認識していた。

この、リアルとは思えないモノたちは、どう反応するようにプログラミングされているのか?

このモノたちは感情を表しているようだけど、だからといって心があるといえるのか?

そう考え、他人と接していた。

他人を"そういうモノ"と認識していたから、今思えば、小学校のとき、友人はいなかったと言える。

他人と仲良さそうに話すことはできる。

それでも、友人ごっこ、親友ごっこの域を出なかった。

「相手が言われて一番嫌なこと」を相手が一番傷つく方法で言って、逆上させるのが趣味だったときもあった。
人間の感情が分からなかったから、一番側から見て分かりやすい怒りという感情を試してたんだよね。
そして、自分の発言で人の感情を動かせるのか、っていうのも分かりやすく見てみたくて。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年11月1日

↓そこらへんは、過去記事参照。

なぜ当時の私は死ななければならないと思い込んでいたのか?

それは、家族崩壊が主な要因ではあったんだと思う。

早朝から深夜まで仕事の父。家事と仕事に追われる母。反抗期の姉。

私は、家族が喧嘩する姿を認知したくなかった。

家族が喧嘩するたび、「私が生まれてきたからいけないんだ」と感じていた。

「私がいなければ、彼らは喧嘩する必要なんてなかったはず」「ごめんなさい」「生きていてごめんなさい」と、自分を責めた。

喧嘩している姿を見ていられないから、家に帰ればすぐ自室にこもるようにした。

ドアを閉じても壁を通って聞こえてくる、怒号。

喧嘩を認識したくない一心で、「あーーーー」と、小さく口に出し、耳を塞ぐ。

それでも聞こえてくる恫喝と金切声に、いつも声を上げずに泣いていた。

声をあげて泣いたら、泣いていることが家族にバレてしまうから。

泣けば頭がぽやーっとし、何も考えず、何も感じず、寝ることができたから、意識して泣くようにしていた。

でも、一回だけ、父に泣いていることがバレてしまったことがある。

「なんで泣いているの?」

『なんでもない』

「なんでもないわけないでしょ?」

『なんでもないって言ってる!』

 静かに私を抱きしめる父。

『もう!もうやだ、死にたい!』

 泣いて暴れる私。

「死にたい?本当にそう思うの?」

 私の顔を覗き込む父。

『…』

 目を背ける私。

「もし本当に死にたいと思うなら、それは病気だよ。」

 真剣な表情の父。

そのときの私が、この一言をどう捉えたのかまでは、覚えていない。

ただ、あの時抱きしめてくれた父の温もりは、今でも覚えている。

そして、年を重ねていくにつれ、その一言を思い出してホッとするようになった。

ああ、これって病気なんだ。

私だけじゃないんだ、と。

社会人になった今も、死にたい私が表出してくるときがある。

例えば、睡眠不足のとき。体調が悪いとき。姿勢が悪くなってるとき。

死んでしまえば楽なのになあ。終わりにしたいなあ。

そう思うときがある。

それでも、あの一言のおかげで、死と一線引くことができる。

ああ、病気の私が出てきているなあ、と自分を客観視できる。

そして、気付く。

あの頃の死にたさに比べたら、こんなのかわいいもんだなあと。

あの頃は、身動きが取れないぐらい体が重かった。

それがずいぶん、軽くなったもんだ。

それでも、ハッとするときがある。

死にたいという気持ちになったことがない人と話すとき。

皆、心の中では「死にたい」と思っているけど、口にしていないだけだと思っていたのに、この気持ちは人類共通じゃないんだった"と気付かされるとき。

もしかしてこの症状を抱えて生きていくのって、かなりのハンデなんじゃないか、と思うときもある。

その上で、もし死にたいと思っている人が私以外にもいるなら、私はその人に言いたいことがある。

死にたい気持ちは、病気です。

それは決してあなた一人だけが抱える病気ではありません。

ですが、その気持ちは人類共通でもありません。

死にたい気持ちを分かりあってくれる人は、あんまりいないです。

だから、孤独を感じることが多いと思う。

今も「死にたい」でググっているあなたは、迫りくる孤独をなんとかしたいんじゃないかな。

体が重いでしょう。息苦しいでしょう。自分の手で自分の首を絞めると、楽になるでしょう。感情が遠いものに感じるでしょう。

それ、病気です。

体が重くてやるべきことができないのは、決してあなたがクズだからとか、できないヤツだからとかじゃないよ。

そういう病気なの。

もう、否定しないであげて。

それはとっても苦しいことだから。

自分で自分の首を絞めるのは、あなた自身で辞めない限り、終わりがない。

あなただけは、なんとか頑張って生きているあなたを、どうか認めてあげてね。

そして、ここまで「病気です」と伝えてきたけど、もしそれが嫌だと感じるなら、私の意見に納得なんてしないでほしい。

あなたが一番実感していて、分かってあげられるはずの"あなた"を、他人が勝手に行ってくる定義にわざわざはめ込む必要なんてないのだから。

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