エッセイ

都内で生まれ育ち親戚も都内にいる私が、女性として生まれ落ちたことを恨んだきっかけは、親戚での集まりだった。

父方の祖父は、8人兄弟の長男。あと半年太平洋戦争が長引いていたら、特攻隊として出撃していたらしい。そのおかげで(こういう表現はよろしくないのかもしれないが)、年金は当時の最大額をもらっていたらしい。祖父はお金にうるさかった。バブル期にやってた投資がラッキーでうまくいき、それ以来"投資家"であることを誇っていた。80歳を超えても、デスクトップパソコンを見るのが日課だった。祖父が兄弟に「遺産放棄しろ」と言ってから、家族仲は悪くなっていったという。

祖父から冗談を聞いたことは一度もない。
口を開けば説教か、過去の栄光を話していた。親戚会で祖父が口を開くと、誰も口を挟まなかった。口を挟むと激高する。祖父が口を開いたら何も言わないよう、矯正されていった。祖父は、親戚の誰にも愛されていなかった。

たまに笑う祖父の笑顔が好きだった。説教はしかめっ面から始まる。しかめっ面から最も遠いのが、笑顔だった。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

三人目は、小学生のころネトゲで知り合った、当時25歳の友人。

私は彼のことを「空さん」と呼んでいた。

彼は、私が抱いていた「大人」の幻想を打ち破ってくれた、大切な人だ。

思春期時代、ずーっと関わっており、私は兄のように慕っていた。

現在の私の性格は、かなり彼に影響されたとおもう。

私が9歳のころ、自宅にデスクトップパソコンがやって来た。

来た瞬間から、ネット社会にどっぷりとハマった。

なんでハマったかというと、

1 顔が直接見えないから、取り繕いやすい

2 顔が直接見えないから、大人と対等に話せる

この2点が主な要因だ。

というのも、私は早生まれが作用したせいか、はたまた家庭環境の劣悪さのせいか、同年代の知人と時間を共有するのが苦手だった。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

二人目は、同じく中学生の頃の担任の先生。

私が中学2年生のころ、30代前半だった男性だ。

彼の名字は、一人目の女性と違って、覚えている。

ヤマネ先生。

私は、中学2年生のころ、いじめにあっていた。

いや、”いじめ”というと大げさかもしれない。

しかし少なくとも私が発表するときいじめの主犯格と仲のいい人からは嘲笑が起こったし、無視されることもあった。

私の容姿で特徴的な部分を、私のあだ名にして陰口を言っていることもあった。

そうされることに、私は傷付いていた。

そういうことがあったのは本当だ。

そういったことがあったから、嘲笑が起こらないよう自意識過剰になったり、周囲の人をよく疑うようになった。

しかし負けん気が強かった私は、嘲笑されても「ええ~、いじめ?ウケる~」ぐらいの態度でいるようにしていた。

「修学旅行のグループアイツと一緒かよ、ありえねえ~」と言われても、無表情を貫いていた。

「私を傷付けることができた」

そう思われないようにするために。

いじめの主犯格やその周辺がどうしようが、わりとどうでもよかった。

集団にならないと私に対抗できない人の意見は耳に入れないようにしているからだ。

しかし、「あの人いじめられているのね、可哀そうに」という視線には耐えられなかった。

エッセイ

私が「大人」と聞いて思い浮かべるのは、いつも特定の人だ。

一人は、中学生のころの国語の教師。

その人は、私が中学生当時、60代後半の女性だった。

生徒からは、少しバカにされていた。

というのも、吃音症っぽかったからだ。

発音1つ1つが大げさで、ゆっくり話す。

私はそれが好印象だったが、他生徒はそうでもなかったみたいで、早口に話せない彼女をバカにしているようだった。

今となっては苗字すら覚えていないその女性の何が印象的だったかというと、子どもに向ける姿勢だ。

私は、その先生が担任の先生だったわけではないが、なぜか好きだった。

気になっていたといってもいい。

友人が少なく、暇さえあれば図書室に向かう私は、その先生に「おすすめの本を教えてください」とよく話しかけていた。

その先生は、私の視野をずいぶんと広げてくれた。

最初におすすめしてくれた本は、「蝉しぐれ」だ。

中学2年の子どもに向けておすすめする本ではなかったと思う。

でも、彼女は、「中学2年生の子ども」ではなく、「わたし」を見てこの本を紹介してくれたのだと思った。

そのほかの先生は、「中学2年生の子ども」を相手していた。「わたし」ではなく。

少なくとも私はそう感じていた。

そんな中、彼女は、対等である1人の人間を相手にしていた。

学生を侮るでもなく、期待するでもなく、等身大の「人」として見る。

その姿勢を、私は何より好んでいた。

次に薦めてくれた本は、日本人が南極に行ってイヌイットとともに暮らすドキュメンタリーだった。

エッセイ

今まで生きてきた人生の中で、忘れられない言葉がいくつかある。

その中の一つが、この一言。

「死にたいと思うのは、病気だよ。」

man sitting in front of window
Photo by Aidan Roof on Pexels.com

私は、小学5年生のとき、好きな男性にこういう手紙を送ったことがある。

「死にたくてたまらない、どうしたらいいのか分からない。辛い。」

(冷静に考えると、当時の私、かなりの限界を迎えてますね…。)

当時の私は、どこかで吐き出さずにはいられなかった。

苦しい。生きていてはいけない気がする。死ななければいけない。でも、死ぬ覚悟もない。ああ、死ぬことすらできないなんて、情けない。早く死ななきゃいけないのに。

常に体が重くて、辛くて。そんな状態に耐えられなかった。

私には、小学生のころの記憶があんまりない。

覚えているのは、人と一緒にいることが苦痛で、家に直接遊びの誘いに来る同級生を居留守して断ったり、放課後は静かな図書館にこもったり、一人になりたくて放送室にこもったりしていた記憶ぐらいだ。

当時の写真を見ると、表情が抜け落ちていて、貞子みたいな自分がそこにいる。

小さい頃のわたしの話を聞くたび、本当にそれはわたしか?現世の生き物か?そりゃ卒業写真が貞子みたいなわけだ、と思う。
家族崩壊してて辛かったんだろうな、笑えるけど笑えないな、というのが素直な感想。人の原点は幼少期にあると言われたら困る。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年4月11日

当時は、ゲームの世界を生きているんだと思い込んでいた。この人たちはゲームのキャラクターで、プログラミングされている存在なんだと。わたしにとって会う人間すべて、村人Aだった。人の発言すべてを、その人の利はどこに隠されているんだろうと考えながら聞いていた。冷たい世の中に絶望していた。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年4月11日

他人を、リアルに生きている生物だと感じていなかった。

プログラミングされている存在。

今その人が笑ったのは、書き込まれているコードに沿っただけ。

そう認識していた。

この、リアルとは思えないモノたちは、どう反応するようにプログラミングされているのか?

このモノたちは感情を表しているようだけど、だからといって心があるといえるのか?

そう考え、他人と接していた。

他人を"そういうモノ"と認識していたから、今思えば、小学校のとき、友人はいなかったと言える。

他人と仲良さそうに話すことはできる。

それでも、友人ごっこ、親友ごっこの域を出なかった。

「相手が言われて一番嫌なこと」を相手が一番傷つく方法で言って、逆上させるのが趣味だったときもあった。
人間の感情が分からなかったから、一番側から見て分かりやすい怒りという感情を試してたんだよね。
そして、自分の発言で人の感情を動かせるのか、っていうのも分かりやすく見てみたくて。 — ジャスミン (@cb_pda) 2020年11月1日

↓そこらへんは、過去記事参照。

なぜ当時の私は死ななければならないと思い込んでいたのか?

それは、家族崩壊が主な要因ではあったんだと思う。

早朝から深夜まで仕事の父。家事と仕事に追われる母。反抗期の姉。

私は、家族が喧嘩する姿を認知したくなかった。

家族が喧嘩するたび、「私が生まれてきたからいけないんだ」と感じていた。

「私がいなければ、彼らは喧嘩する必要なんてなかったはず」「ごめんなさい」「生きていてごめんなさい」と、自分を責めた。

喧嘩している姿を見ていられないから、家に帰ればすぐ自室にこもるようにした。

ドアを閉じても壁を通って聞こえてくる、怒号。

喧嘩を認識したくない一心で、「あーーーー」と、小さく口に出し、耳を塞ぐ。

それでも聞こえてくる恫喝と金切声に、いつも声を上げずに泣いていた。

声をあげて泣いたら、泣いていることが家族にバレてしまうから。

泣けば頭がぽやーっとし、何も考えず、何も感じず、寝ることができたから、意識して泣くようにしていた。

でも、一回だけ、父に泣いていることがバレてしまったことがある。

「なんで泣いているの?」

『なんでもない』

「なんでもないわけないでしょ?」

『なんでもないって言ってる!』

 静かに私を抱きしめる父。

『もう!もうやだ、死にたい!』

 泣いて暴れる私。

「死にたい?本当にそう思うの?」

 私の顔を覗き込む父。

『…』

 目を背ける私。

「もし本当に死にたいと思うなら、それは病気だよ。」

 真剣な表情の父。

そのときの私が、この一言をどう捉えたのかまでは、覚えていない。

ただ、あの時抱きしめてくれた父の温もりは、今でも覚えている。

そして、年を重ねていくにつれ、その一言を思い出してホッとするようになった。

ああ、これって病気なんだ。

私だけじゃないんだ、と。

社会人になった今も、死にたい私が表出してくるときがある。

例えば、睡眠不足のとき。体調が悪いとき。姿勢が悪くなってるとき。

死んでしまえば楽なのになあ。終わりにしたいなあ。

そう思うときがある。

それでも、あの一言のおかげで、死と一線引くことができる。

ああ、病気の私が出てきているなあ、と自分を客観視できる。

そして、気付く。

あの頃の死にたさに比べたら、こんなのかわいいもんだなあと。

あの頃は、身動きが取れないぐらい体が重かった。

それがずいぶん、軽くなったもんだ。

それでも、ハッとするときがある。

死にたいという気持ちになったことがない人と話すとき。

皆、心の中では「死にたい」と思っているけど、口にしていないだけだと思っていたのに、この気持ちは人類共通じゃないんだった"と気付かされるとき。

もしかしてこの症状を抱えて生きていくのって、かなりのハンデなんじゃないか、と思うときもある。

その上で、もし死にたいと思っている人が私以外にもいるなら、私はその人に言いたいことがある。

死にたい気持ちは、病気です。

それは決してあなた一人だけが抱える病気ではありません。

ですが、その気持ちは人類共通でもありません。

死にたい気持ちを分かりあってくれる人は、あんまりいないです。

だから、孤独を感じることが多いと思う。

今も「死にたい」でググっているあなたは、迫りくる孤独をなんとかしたいんじゃないかな。

体が重いでしょう。息苦しいでしょう。自分の手で自分の首を絞めると、楽になるでしょう。感情が遠いものに感じるでしょう。

それ、病気です。

体が重くてやるべきことができないのは、決してあなたがクズだからとか、できないヤツだからとかじゃないよ。

そういう病気なの。

もう、否定しないであげて。

それはとっても苦しいことだから。

自分で自分の首を絞めるのは、あなた自身で辞めない限り、終わりがない。

あなただけは、なんとか頑張って生きているあなたを、どうか認めてあげてね。

そして、ここまで「病気です」と伝えてきたけど、もしそれが嫌だと感じるなら、私の意見に納得なんてしないでほしい。

あなたが一番実感していて、分かってあげられるはずの"あなた"を、他人が勝手に行ってくる定義にわざわざはめ込む必要なんてないのだから。

エッセイ,ライフハック

「ああ、明日、友人と会うのを予定していたけど、全然体が動かないな…」

「全然行きたくないな…」

「心底面倒くさい…」

もしそうなら、「体調が悪いから行けなくなった」と言って、断っていい。

私は、胸を張ってそう主張します。

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体が動かない

「風邪」を理由に遊びを断るのと、「行きたくない」を理由に遊びを断ること。

この2つに、違いがありますか?

断る理由として、どちらも「体がうまく動かない」し、「遊びに行った後、悪化する恐れがある」という点で、何ら変わりないと思いませんか。

寒気がして、頭が痛くて、体が鈍い。

お風呂に入るのが面倒くさくて体が動かない。心が躍らない。ベッドから動けない。

この両者は、言葉にすると一見異なるように見えますが、体の状態としては同じです。

どちらも結果として、「体が動かない」。

最近では健康的な生活が流行っていますが、体が不調なときケアするのが当たり前なら、同様に、心が不調なときにもケアするべきだ、と私は思います。

心が不調なとき、無理は禁物です。

心が不調なときに無理をすると、どんどん心が麻痺していき、悪化する。

「何故だかわからないけど調子が悪く、何をやってもうまくいかない」と感じることが増えていく。

体が不調なときと、心が不調なとき、するべきことは変わりません。

そういうときにすべきことは、無理して誰かに合わせるのではなく、休息をとり、自分を癒すのに注力すること。

私だったら心が不調なとき、ハーブティーを飲み、部屋の電気を消し、アロマとキャンドルを焚きます。

頭から離れない事柄があるならば文字にするし、どうしようもない不安とじっと向き合う。

ストレッチをし、背の高い木に囲まれるような場所へ行き、散歩をする。

何度見ても爆笑できる動画を見る。映画を見る。楽しかった思い出の写真や動画を眺める。

肩まで湯船に浸かる。iPhoneの電源を消す。白湯を飲む。掃除をする。ひたすら寝る。

休息をとるために、まずはあなたの心が不調なことに気付かなくてはいけません。

なんだか元気が出ない。

肩が重い。

いつもだったら笑えるときに笑えない。

言葉がうまく出てこない。

読書に集中できない。

友人に会いたいと思えない。

低気圧。

日光を浴びていない。

季節に合った服を着ていない。

心が不調なのは、色んな要素が考えられます。

一日一回のルーティーンとして、あなたの心に目を向けて、あなたの体に注意を向ける時間をつくりましょう。

朝起きたときの肩の凝り具合、玄関を出るときの気分、トイレで一人になったとき、お風呂に入る前、寝る前などに、いつもの自分と今日の自分はどう違うか、感じてみましょう。

そして、もしあなたの心が不調なことに気付いても、決して元気になろうとしないでください。

無理に心を励まそうとしないでください。

生きていれば、元気がないときだってある。

それは当たり前のことで、なにも悪いことではありません。

「心に無理な力をかけること」は、あなたの意図と逆の方向にいってしまうことが多い。

だから、心と向き合うとき、無理は禁物。

ただただ、あなたは疲れているんだということを認めてみましょう。

そして、あなたに不調なときがあるのと同じように、あなたの友人も不調なときがあります。

もし予定の直前に「体調が悪いから行けなくなった」と言われても、それを当たり前のように受け入れるあなたがいるならば、相手もあなたが不調なとき、当たり前のように受け入れてくれるでしょう。

しかし、それを当たり前のように受け入れてくれない人は、もちろん存在します。

そういう人との関係を続けることは、あなたが無理をしなければならない場面が今後も出てくることを意味します。

それでもその人との関係を続けるのか、続けないのか。

その人との関係で得られるメリットやデメリットを踏まえて、考えていきたいですね。

まあでも、ここまで言ったが、無理をすべきときもあります。

もちろん、無理をすべき場で無理をしないという方法もある。

塩梅を考えて、できるだけ無理をしない生活を一緒に送っていきましょうね。

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