レビュー,

絵画好きの方の間では、有名なこの著書。

「怖い絵ってタイトル、安直だなあ。どうせ絵自体がゾッとするものなんでしょ?」と思っていました。読む前までは。

結果的に言うと、絵自体が怖いものと、絵自体は全く怖く見えないものが半々でした。

では、絵自体は怖くないのに、なぜ"怖い"と感じるのか?

著者では、絵画がカラーで掲載されて、その後その絵画の怖さについてストーリーで解説されています。

なので、絵画を見て、「ん?この絵のどこが怖いんだ?」と疑問を持つほど"普通"な絵もあります。

そして、その絵画が描かれるに至ったストーリー理解した後に絵を見直すと、その絵の怖さを理解してしまい、ゾッとするんです。

私たち読者は、この本を通して、人間の残酷さと残虐さを目の当たりにします。

人間が人間であるが故に持っている、普遍的な残酷さと残虐さを。

そして、「昔あった怖い話」が現代にも通用することに、ゾッとすることでしょう。

少なくとも私は、「絵自体は全く怖く見えないもの」の方が、恐ろしかった。

なぜなら、その世界観に違和感を感じないほど、私自身もその残酷な世界に馴染んでいるという証拠だから。

この本で特に印象的だったのは、著書の中で紹介される、ダヴィッドによる「マリーアントワネット最後の肖像」と、ジョルジョーネによる「老婆の肖像」です。

(どちらもググったら出てくるので、ぜひググってみてね)

これは、私が女性だからというのが影響しているかもしれません。

昔の女性の人生と、現代の女性の人生を考える上で、ぜひ読んでほしい一冊ですね。

読者は、魔女裁判の恐ろしさを、人に嫌われることの恐ろしさを、異端を排除する民衆を、人間の感情の豊かさと、その感情に支配される人間を、この本を通して目の当たりにするでしょう。

そして、現代にもそれを必然的に投影してしまう。

一見、現代は中世に比べ、優しくみえるかもしれません。

しかし、その優しさがこれからも続く保証はない。(そして、その優しさは、本当に"優しい"のでしょうか?)

なぜなら、人間は生まれ持って残虐だからです。

少々不穏な感想になりましたが、エンタメとしてもめちゃくちゃ面白い本なので、ぜひたくさんの人に読んでほしい一冊です。

↑Kindleが最安なのでKindleがオススメですが、読むときはKindleではなくタブレットで読む方が絶対にいいです。絵画はカラーで見ないと面白くないので…

なぜ日本では印象派が人気なのか?が分かる一冊。

レビュー,映画

職場の映画好きな先輩にオススメされた、ミッドサマー。

『ずっと気になってはいるんですけど、見る勇気がないんですよね~』

「ミッドサマーはグロ耐性があるなら面白く見れると思うよ。グロいの大丈夫?」

『SAWとかは見てました!』

「じゃあ余裕だよ~!」

『あんなに映像きれいなのに、結構グロいんですね…俄然興味湧いてきました。どういうジャンルの映画ですか?』

「う~んとね、スカッとする系かな?私はハマって、映画館で2回も見たよ!」

『ええ!スカッと系?!しかも2回!うわ、絶対見ますね!!』

こんな流れで視聴したので、ネタバレ込みで感想を書いていきたいと思います。

ネタバレ踏みたくない方は今ブラウザを閉じてくださいね!

それでは、感想です!

↑今ならAmazonprimeで視聴できますよ~!

あらすじ

ザクッとあらすじを紹介します。

大学生5人(ダニー・クリスチャン・ジョシュ・ペレ・マーク)が、論文のネタ探しのため、ペレの出身地であるスウェーデンの小さい村に2週間行く。

村の人たちは彼らを歓迎する。

「明日から90年に1度の、大祝賀祭があるんだ。楽しんでいってくれ!」と。

その大祝賀祭の中で、大学生たちが殺されていく、っていうお話ですね。

そんなミッドサマーを見て、一番最初に出てくる感想は、「見ていて勉強になるなあ…」でした。

勉強になるポイントの1つ目は、クスリを摂取している場面の表現力の分かりやすさ

村に一歩踏み入れた主人公ダニーとクリスチャン(二人は別れかけのカップル)に対して、村出身の人から「初めまして!よっしゃ、クスリやる?」っていう提案があり、いろいろあってクスリを摂取する。(※かなりストーリーを省略しています)

すると、植物が生きているように動き出すような映像が流れる。

これで、「あ、クスリをやるとこういう見え方になるのね~」というのを視聴者に植え付ける。

そこから、その村で主人公二人が何かを飲むたび、植物が生きているように動き出す。

ダンスの前の飲み物。ダニーがダンスで勝ち、クイーンになった後の、食事の場面。

ずっと植物が動いているんですよね。

それによって「ああ、今トリップ中なのね」と分からせると同時に、不思議な映像を通して視聴者の不安を煽る。

いや~~、映像技術+説明しないで状況を表現する技術がすごいね~!!!

その表現を踏まえた上で、この村の住民は薬物中毒者ばかりじゃん?!ってなりました。

だって、祝賀祭とは言え、終始トリップしすぎでしょ。

でも、だからこそ、この共同体のあり方に納得できた。

この村では、18歳のサイクルで人生を「季節」と表しており、18歳までは成長期の「春」、18〜36歳までは外の世界へ旅立つ「夏」、36〜54歳は労働する「秋」、そして54〜72歳は教育係となる「冬」なんですって。

これを踏まえて、映画の途中、疑問に思うことがあって。

この村で育った人たちは18歳~36歳まで、外の世界へ旅立つんですよ。

なのに、この村の考えがおかしいってならないの?って。

だってペレは、村以外の世界にかなり馴染んでたじゃん?って。

この疑問に対して、薬物中毒者ということなら、ちょっと納得できる。

自分の故郷にいるといい気持ち(=トリップ)になれることが多いし、みんな家族だということを示すような団体行動も多くて共感しやすい。

もしかしたら自分は死ぬかもしれない(祝賀祭の供物として選ばれるかもしれない)けど、それはそれとして納得している。それに対する恐怖は、クスリで凌駕する。(実際に、映画の終盤、村人の中から供物として立候補した人たちすら、死の儀式を恐れていた。その恐怖は、クスリを摂取してなんとか耐えていたようだった。)

うん、そう考えると納得できるなあ。

勉強になるポイント2つ目は、組織の方針に疑問を持つ人すら、満足感を持って仲間に引き込むことができるレベルの勧誘力

ダニーは、初日~3日目ぐらいまで、「おかしいよこの村…」と言っています。

一方で、村の人たちは、「時々外から人を呼ばないとこの共同体を維持できない(近親相姦的な意味で)」からか、ダニーを仲間にするために行動しているようにみえる。

確かに、今回招かれた客の中から仲間を選ぶとしたら、ダニーはまさにカモですよね。

ダニーは今弱っているし(旅行前に家族を亡くした上に、頼れるはずの彼氏も冷たい)、頼まれたら断れない性格だ。

必要以上に空気も読むし、人に合わせるのが上手。

(初見ダンスをほかの人に合わせるのうますぎじゃない?)

そのダニーの弱さにつけこむかのような、「私たち家族だよ」という住民によるアピール。

住民は、いろんな角度からダニーへ勧誘活動をする。(2,3日目ぐらいから、明らかに他の客への態度と違う)

ペレは、「僕は君と一緒だ、ダニーの気持ちはよくわかる。僕も孤児だったからね。でもそんな孤児を、村は暖かく守ってくれるんだよ。君は今どうなの?」とダニーに寄り添いつつ、揺さぶる。

同年代の村人女性と一緒にパイを作り、その村の民族衣装を着させたりすることで、共感や親近感を植えさせる。

そして決め手は、ダンス大会で勝ってしまったことだ。

もしこれが出来レースだとしたら、マジでこの村の勧誘力は半端ないよ。(偶然っぽく見えたけど…真相はいかに?)

ダニーはダンス大会に勝ったことで、"村人"の役割をしっかりと与えられてしまった。

なんだか地位が高そうな上に、他の住民が憧れるような役割を。

そんな役割を与えられたことで、見事ダニーは村の住民になった。

悲しいときや嬉しいときに、何も言わずに全く同じ感情を表して共感する人たちに囲まれ、暖かく受け入れてくれる組織に所属することで、やっと彼女は安心することができた。

不安を抱えて生きていた彼女に、重要な役割を与え、そのままの自身を受け入れてくれる。

そんな唯一無二のような組織を得たのだ。

だから彼女は、エンディングで幸せそうに笑っていた。

これを見て、ヒエーーッ!こうやって人は仲間になるんだよねーー!ってなりました。

人を勧誘したい人は、マジでミッドサマーを参考にしたらいいと思います。

いや~、1回ネタバレを踏んでるからだと思うけど、めちゃくちゃ冷静に見てしまいましたね。

この作品の怖さについて

グロさについては、先輩の言う通りで、SAWが見れれば何の問題もないです。

そんなにリアルじゃなく、作り物感が強いので、そこまでキツくない。

それよりも私が冷や汗をかいたシーンは、グロいシーンではなくて、想像力を煽ってくるシーン。

一番ヒエッとしたのは、映画の終盤。

クリスチャンがクスリによって体を動かなくされ、大祝賀祭に必要な供物の一人として犠牲者に選ばれた後。

お腹をパックリ開かれた熊がテーブルの上に置かれ、「いいか?この内臓を取るときは、こうやってやるんだ」とおじいさんが9歳ぐらいの子どもに実践教育をする。

そこに、乳母車(のような車いす)に乗ったクリスチャンのアップ映像。

「エッ、まさかクリスチャン、生きたまま内臓えぐり取られるの…?しかも、初心者の子どもによって…?」

「エッヤメテーー!悲鳴聞きたくないよーー!」とヒヤヒヤし、思わず映像を飛ばそうかと思ったぐらい。

結果、そんな映像は流れなかったのでホッとしましたね…

このように、想像することでヒヤッとするシーンは頻繁にありました。

例えば、ダニーがクイーンとして選ばれた後の、地面に穴を掘って小麦と内臓と卵を埋める儀式のシーン。

「エッまさかこれ、供物に選ばれた"人"の内臓…?」と想像させられる。

他にも、女性が生理で流れる血をバケツに入れるシーンが描かれた絵を視聴者へ見せた後に、薄紅色の飲み物がアップになることで、吐き気を催させたり。

この映画の怖さは、画力によるグロさではなく、想像力を煽らせるところにありますね。

他にも、ペレの目的に気付いた瞬間とかヒヤッとしました

この映画を見終わった後、「色々置いといて、一番怖いのってペレじゃね?」とハッとしました。

だって、明らかに殺す目的で"友人"5人を連れてきてます。

(え、違うのかな?本当は外から人を引き込む繁殖目的だったのかな?)

(でも、他カップル2人は、村への禁忌を犯すわけでもなく、村から出ようとしただけで殺されてたよ。そして、その二人を連れてきた村の人は表彰されてたよ、「よくぞ供物を連れてきてくれた」と。やはりペレも供物目的で連れてきたのではないか?)

なのに、あそこまで優しく親しい姿勢で友人たちに接することができる、ペレ。

祝賀祭中、日に日に友人がいなくなることについて思い当たる節があるはずなのに、自然体で過ごしている、ペレ。

そんな違和感を残しながら、ダニー目線だとめちゃくちゃ支えになる、ペレ。

エッ、怖くない?

村では、生命は輪なんだ、と言っていました。

死者は生まれ変わる。それを表すため、死者の名を赤ちゃんが引き継ぐ、と。

その考えを心底信頼しているから、人の死に対して何にも思わないということなんだろうか。

でも、マークやジョシュの名前はこの村の赤ちゃんに引き継がれるの?あんな殺され方をしても?

引き継がれるとしたら、ペレの穏やかさも納得できるけど…

真相は一体。

ミッドサマーの面白さについて

ミッドサマーを見ていて特に関心したのは、設定の豊富さと設定の徹底ぶり。

人を殺す村の人って、ちょうど36〜54歳は労働する「秋」、そして54〜72歳は教育係となる「冬」の人たちに見えたんですよ。

ダンスの掛け声をするおばちゃんとかも、50代に見えた。

つまり、ちゃんと設定に合わせて36~54歳の人が労働しているし、54〜72歳の人が教育しているんだと気付いたとき、オオーッと思いました。

ミッドサマーは、とにかく伏線のように見える設定が豊富すぎる。

ルーン文字とか、部屋の壁の絵とか。72歳以上の人が自殺したロケーションにあった大きな岩とか。食事中に無言で行われる独特なルールとか。

全てを説明しすぎず含みを帯びているから、「もしかしてこれって…」「エッこれ、繋がってたりする…?」と思わせる。

ハリーポッターが好きな人はミッドサマーもハマるんじゃないかな。

それぐらい、設定が豊富でした。

いくらでも深堀できそうで、ハマる人には沼のようにハマると思う。

最後に

ここまで書いたけど、先輩の言う「スカッとする感じ」は全然わからなかったな…

大学生5人のうち3人殺されたことに対して、納得できてないからかも。

ジョシュは確かに、絶対ダメなことをしちゃったから仕方ないとしても、クリスチャンとマークは殺されるまでのことをしたかなあ?と思っちゃう。

私はそこに対して、スカッとできなかったなあ。

村から出ていったカップル2人が殺されたことも、もやもやするし。

でもまあ、村の価値観で考えれば、殺されて当然なんだろう。と自分に言い聞かせている感じ。

だから、村の価値観が分からないはずの人たち(=先輩等の視聴者)がスカッとすることのほうが、私は怖い。

大学生3人(クリスチャン・ジョシュ・マーク)に、そんな憎まれる要素があった?と思っちゃうなあ…

まあ…みすず(みんな違って、みんないい)だよね…

↑今ならAmazonprimeで視聴できますよ~!

また見たいかは置いておいて、とにかく面白かったです!

色んな人の考察記事を読み漁りたい。

ミッドサマー 予告編

アニメ,レビュー,

(過去記事再掲です)

BANANAFISHという、名作中の名作、人類皆見るべきアニメをアマゾンプライムビデオで見つけてしまいました。

banana fishは何度見たってすぐ泣いてしまう。人の感情を説明しすぎず、でも共感できるように伝えるのがうますぎる。孤独を包み込む愛……そんな愛を持てる人になりたい……

— ジャスミン (@cb_pda) 2020年2月13日

ストーリーがあまりに面白すぎて、見始めたら止まれなくて朝から晩まで一気に24話を視聴し、見終わってしまった喪失感に耐え切れずバイト帰りにBANANAFISH another story(後日談)を買い、原作を読みたくなってKindleで原作全巻買い、開設を読みたくなってBANANA FISH REBIRTH(ファンブック)を買いました。

買わずにはいられなかった。

それぐらいヤバイアニメです。BANANAFISH。

 

 

後日談もファンブックも、買ったところでタダみたいなもんですよね。(?)

とにかく心にぶっ刺さりまくる。

揺さぶられまくる。

登場人物の人生について、考えずにはいられなくなる。

1年に1回は読み返すレベル。

強い意志を持って言いたい。

BANANA FISHを見るか迷っているぐらいなら、とにかく見てくれ…!!

特に3話まで見てくれ…!!

1話は流し見でいいから、とにかく3話ぐらいまで見てくれ…!!

「鬼滅の刃、全話見終わっちゃった。なーんか面白いのないかなあ。BANANAFISH?ふーん、絵柄いい感じじゃん。あー、マフィア?ブラックラグーン的なアレ?ブラックラグーン、好きだったんだよなあ。まあ、軽く見る程度だしなんでもいいや。」

こんな気軽な感じでBANANAFISHを見始めたんですが、それが今や、生活に支障をきたすレベルで影響を受けている状態。

BANANAFISHは本当に恐ろしい作品よ…

↑今ならAmazonprimeで全話視聴できるので、アマプラ会員にはぜひ見てほしい…

そして感想を聞かせてほしい…

アッシュ、英二、ブランカやディノの人生について、そして愛について、語りましょう…

※以下ネタバレ注意です※

上記でも述べた通り、軽率な気持ちで見始めたので、見始めた当初の1話の記憶は英二が棒高跳びしたシーン以外全く覚えがなかったし、ちゃんと見始めたのは、3話のキスシーンを経たぐらいでした。

だって、アニメで、男性同士のキスシーンですよ?

あんまり見たことないじゃんそんなの。ビックリしちゃったんだよ。

しかもそれが、チャーリー(警官)を欺く意思伝達のためだって???!

なにそれ、オモシロ…

そういうスパイ的なムーブもあるんだ…

好きじゃん……(刺)

と、スパイ系ストーリーが好きな私にぶっ刺さり、そこからしっかり画面を見るようになりました。

絵だけじゃなくてストーリーも面白いんだって気付いたから。

そして、アッシュの周囲の人々が傷付いていくのを見て、気付いたらアッシュと一緒に泣いてたよね…

ジェニファー!?マジか!?ってなったし、

ショーター……うそだろ、そんな…特効薬とかないのかよ…!?!ってなって、もちろん目が腫れるまではちゃめちゃに泣いたよね…

BANANAFISHの何がスゴイって、一人一人のキャラクターの感情の揺れ動きに納得できるところ。

私はひねくれているので、いわゆる「ご都合主義」が苦手。

「エッそれはちょっと都合よすぎじゃん…」って一度でも感じてしまうと、その後うまく感情移入できなくなっちゃう。

でも、この作品は違う。

例えばブランカの行動。

ディノに呼び出されて、ディノと契約して、アッシュを追い立てますよね。

ユーシスに、「あなたには情がないの?」って言われるぐらい。

よくあるストーリーだったら、師弟関係で情があるアッシュを想って、契約中にもかかわらずアッシュの手助けしたりするんだろうなあと思います。

でもブランカは、一流のプロとして仕事を成し遂げる。

そのあとアッシュを手伝うよう行動する。

すべてのキャラクターに一貫性がある。

キャラクターの心の動きが、すごく納得できる。

ユーシスは英二が気に食わない。

ディノはずっと一途にアッシュを(歪んでいるけど)想っている。

それは「なぜなのか」が、すんなり入ってくるんです。

すべてのキャラクターに感情移入できてしまう。

「人が作った作品を見ている」というよりは、「誰かの人生を覗いている」気持ちになりました。

まあ、その分最終話見終わったあと、1ヶ月以上に渡って落ち込んでましたけど…ね……

ああ、アッシュ。

アッシュの発言一つ一つが、繊細で、リアルで、頭がいいのに青年で。

才能なんてそんなもの―—もしオレにあったとしても…

オレはそんなもの欲しいと思ったことは、一度だってない!

― BANANA FISH 8巻

これを聞いて、ハッとした。

なんて上手に彼の孤独と、繊細さと、過去の苦渋を表しているんだろうか、と。

よけいなお世話だ…

オレは今幸福なんだ

この世に少なくともただ一人だけは…なんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいるんだ

こんな幸せな気分は生まれて初めてだ…

もうこれ以上ないくらい―—オレは幸福でたまらないんだ

― BANANA FISH 12巻

にせものにかこまれて生きるよりずっといい

― BANANA FISH 12巻

ブランカに向けて放ったこのセリフを、そのとき受けた衝撃を、私は一生忘れないと思う。

ああ、英二。

アッシュの側に居てくれて、ありがとう。

あなたがあなたらしくそこに居てくれたおかげで、どんなに助かったか。

どんなに救われたか。

暖かい愛を、包み込むような愛を、本当にありがとう…

あなたは本当にカッコいい。

私の憧れです。私も、あなたのように在りたい。

アッシュと英二の愛の物語を見ることができて、私は幸せでした。

この通りアッシュと英二にクソデカ感情を抱いており、BANANAFISHによって発生した感情をとても一人では抱えきれなかったので、会う人全員にBANANAFISHをとにかくおすすめしてました。

いや、おすすめっていうか、とにかく見ろ!!って、ゴリ押ししてた。

24話見終わって、めちゃくちゃ辛かったけど、こんないい作品に出会えたことは幸福極まりないです。出会えて本当に良かった。

私は、ニューヨーク公共図書館に行きたい。

あの机に、座りたい。

そして、アッシュの人生に想いを馳せたい。

はあ、最高だったなあ、BANANAFISH。

ファンブック読み直したくなってきた。

読み直そう…

↓登場人物への理解が深くなり、より号泣できるので、アッシュと英二の人生を考えずにいられない人たちは見て損はないです。私は楽天で買いました。

 

 

エッセイ,習慣化

1年前まで同じ国家試験を目指し、勉強を教えあい、授業も一緒に受け、一緒に夢を見ていた友人から、国家試験の1次試験に受かった、という話を聞いた。

私は国家試験の勉強に絶望し、とっくに諦めていた。

しかし、友人は本当にいい人だし、「ぜひ、合格してくれ!!」と、心から応援していた。

応援していたはずだった。だが、いざ「試験に受かった」ということを聞くのは、すこし、辛かった。

いや、かなり辛かった。

ビックリして、すごいと思って、辛いと思った。

そのあとに、ああ、喜ばなくては、と思った。

試験を諦めたくせに、なぜつらいと感じるのか?と言われたら、頑張った人と頑張っていない人の差を感じさせられるから辛いのだ。

私は、何度も言うが、家に長い間引きこもっていた。

引きこもりを脱却し、大学に単位を取りにいくために外にでるとき、強く感じたことがある。

何もしてなかった人と、何かをしていた人との差は、とてつもないということだ。

そして今日、改めてこのとてつもない差を、思い知らされている。

私とその受かった友人は、大学で知り合った。

なんなら、同じ国家試験を目指す研究室で、知り合った。

最初から、国家試験を目標にする同志だった。

だから、話題として挙がるのも当然、国家試験の話だ。

「これ受かったらどうする~?とりあえずホームパーティはしようよ!?」

「絶対高層マンションに住むでしょ?そしたら夜景ばっちしじゃん」

「ワインとかチーズとか持っていくよ」

そんな話を、いつもしていた。楽しかった。

「出張とかして、イケメン上司とワンチャンあったりするのかな!?」

「受かったらお金ウハウハだよ、旅行しまくるしかないね??」

「働きだしたらイケメンとたくさん出会えるっしょ~!!」

「合コンしまくるぞ!!」

こんな話ばっかり。こうやって一緒にばかみたいな夢をみていた。

たのしかったなぁ、本当に。

私にとっては夢物語だった。

でも、その友人は、これを現実にするんだろう。

こうやって、差はひらいていく。

その差は、「やったか」「やっていないか」だけだ。

才能とか、頭の良さとか、向いてるとか向いてないとか、そんなんじゃない。

いや、頭がいいから、やったほうがいいっていうのは分かったのかもしれないけど。

実際に「やった」人は、「やってない」人より、常に3歩先を行っている。

講師はよく言っていた。

「今点数良い人が受かるんじゃない。やり続けた人が受かるんだ。」

ほんとうに、その通りなんだと思う。

私は正直、その友人より基本的に点数や順位はよかった。

友人は、それに悩んでいたと人づてに聞いた。

私よりやっているのに、私より上に行けない、と。

でもごらんのとおり、そんなのは合否にカケラも関係がないんだ。

友人は、「私は効率的にはできないから、とにかくやるしかない」と言っていた。

その友人は、事実やり遂げたんだろう。

私が、足を止めている間に。

「やったか」「やってないか」

これだけ。簡単な話。

涙が出そう。簡単だなぁ、ほんとうに。

しかし、そうやって簡単な話だと思い込んで、「サクセスストーリー」と「挫折人生」に落とし込んで納得するにはまだ早い。

なぜ友人は合格できたのか?

なぜ私は、諦めてしまったのか?

これをハッキリさせないと、私はまた同じような失敗を繰り返してしまうだろう。

それは、もう、したくない。

同じ過ちはしない。

それを信条に生きているので、つらくても、分析します。

なぜ友人は合格できたのか?

上記で言った通り、「やった」「やらなかった」

試験や資格においては、これがすべてだと私は思っている。

なぜ友人が合格したか、それは、継続して「やった」からだ。

では、質問を次の展開に進めよう。

なぜ、友人は「やり続ける」ことができたのか?

まずは、私と友人の相違点を挙げていこうと思う。

友人

  • 国家試験勉強における人脈を広げていた
  • 朝から勉強をしていた
  • 気分転換をよくしていた(友人と会ってご飯する、友人と話す)
  • 気分転換の次の日は、しっかり勉強していた
  • 友人に国家試験の勉強をしていることを宣言していた
  • 長期的に勉強から離れることをしなかった
  • 優先順位をつけていた(大学の授業は全くでない代わりに勉強する等)
  • 1日まるまる休むことは滅多になかった

  • 国家試験勉強における人脈を狭めたかった(嫌でも比べてしまい、辛かった。自分がどう評価されているのか、気にしていた。)
  • 朝から勉強することは滅多になかった
  • 気分転換ができなかった(勉強をしていないというのが恐ろしい。頭の中に勉強時間を考える自分がいつも居て、完全に勉強から離れられなかった。)
  • 気分転換が長続きしてしまっていた(1日休むと、連続して3日休んでしまう)
  • 友人に国家試験の勉強を宣言しなかった(逃げられるようにしておくため。もし合格しなかったら恥ずかしい。)
  • 長期的に勉強から離れた(そして戻れなくなった)
  • 優先順位をつけていた
  • 1週間に1日は、まるごと休む日がほしかった

私はこの中で、以下の2つの点をピックアップしたい。

・人脈

・習慣化

人脈の重要さについて

最近気づいたことだが、人脈とは、継続において重要なポイントである。

人というのは不思議なもので、人との繋がりがあると、頑張ることができるのだ。

私の知っている人で、国家試験に受かっている人はみんな、仲間と励ましあい、切磋琢磨している人しかいない。

人との関わりを避けている人は、合格しているイメージがない。

合格する前に、諦めてしまうのだ。私のように。

また、人との関わりを避けると、独自の道を進んでしまう。

問われない論点に集中したり、また、難しすぎる問題に集中するあまり、解けなくてはならない問題まで手が回らなかったりする。

そうすることで、合格から遠ざっていく

あなたが、1人で「成功しよう」と考えてるとする。

しかし、もし成功しなくても、その責任はあなた1人で足りる。

「成功しなくても被害は私だけ」だから、諦めやすいのだ。

足を洗いやすいのだ。

しかし、チームで「成功しよう」と考えてるとしよう。

もし成功しないと、その責任はチーム全体に及ぶ。

その責任感から、1人で成し遂げようとする人より、頑張れる。

そして、諦めにくい。

だから、仲間と切磋琢磨するというのは正しい方法だと思う。

そして、自分が分からないことは仲間に聞く、というのもいい方法だ。

とにかく、「自分の中で完結しないこと」が大事だ。

なんでもいい。

「ここわかんないんだけど、わかる?」

「これね!私もわかんなかった。先生に聞きにいかない?」

こんなやり取りでもいい。そうやって、一緒に頑張っていければ。

そして、「この人に負けられない」

そういう気持ちがあれば、人は成長していけるのだと思う。

私は、人脈が広がることを避けたがった。

私よりすごい人がいることに耐えられなかったからだ。

私が今日、6時間勉強したことに達成感を得ていても、当然のように8時間勉強している人がいることに耐えられなかった。

そして、その2時間の差を、「まあ大丈夫っしょ」と楽観視できる人でもなかった。

今日平均点以上が取れていても、明日も取れるとは思えない人だった。

そして、平均点以上では満足できない人だった。

テストで9割取るために、がむしゃらで無鉄砲な計画を立てた。

その計画は当然のごとく達成できず、「私はなんて無力なんだ」と感じる人だった。

いまなら、どうすればよかったのかわかる。

自分の勉強法を疑ってしまうなら、講師を頼ればよかったのだ。

講師が頼れないなら、先輩を頼ればよかったのだ。

自分の立てた計画がダメだったなら、

それもまた講師に聞けばよかったのだ。

自分の取った点数以上の点数が取りたいなら、

講師に直接聞けばよかったのだ。

「どうしたらこれ以上の点数が取れるようになりますか」と。

これだけだった。

自分の好きな講師を頼れば、もっと簡単な話だった。

それを、素人なのに自分で計画を立て、勉強法を考えて実行した。

当たり前だが、思うような成果が上がらず、結果、自己嫌悪におちいってしまった。

こうして私は、「正しい道」ではなく、「正しいと思い込んでいる道」を歩んでしまった。

「正しい道」は、専門家や人との繋がりで見つけるものだ。

「正しいと思い込んでいる道」は、1人で作り上げるものだ。

教訓:「このやり方で合っているのかな?」一瞬でもそう思ったら、専門家にすぐ聞こう。

習慣の重要さについて

では、私が諦めてしまったのは、人に頼ることをしない上に、友人より意志が弱かったからだろうか?

人脈も諦める一因であったとおもう。

しかし、意志は全く関係ないだろう。

というのも、私も彼女も本気で、国家資格を取得しようとしていた。

そして彼女は合格し、私は既に国家資格を諦めている。

この違いは何か?

私は、友人と違って、「習慣化」ができなかった。

試験勉強を、日常に組み込むことができなかったのだ。

そして、意志の力に勉強をゆだねてしまった。

これが、彼女と私の決定的な違いだ。

朝起きて、「今日勉強する?」と考え、「うん、しようか」

これが、意志の力にゆだねるということ。

勉強の習慣化というのは、当たり前のものとして勉強をすることであり、勉強する前に「今日勉強するか?」という問をしないこと。

意志の力に頼るというのは、継続しない。

そのときの気分に左右されるからだ。

一方で、習慣に気分は関係ない。

あなたが歯を磨くとき、「今日は歯を磨こうか?」とは考えないはずだ。

気分が乗らないから歯を磨かない、なんてことはないだろう。

その問をなくして、すでに行動にうつしている。

私は「勉強するかどうか」を、意志の力にゆだねてしまった。

それが諦めることにつながった大きな原因だった。

ていうかほんとそうじゃん。私、習慣化、下手なんだ。

ダイエットも、短期的には成功した。

でも、常に45kgでいられたかって言われたら、無理だった。

ランニングは、2か月が最長だった。

スクワットも、気付いたら辞めていた。

ああ、いますごく思い知らされました。

私が習慣化があまりに下手だということを。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

―――マザーテレサ

 人の本性はみなほとんど同じである。違いが生じるのはそれぞれの習慣によってである。 

―――孔子

 成果をあげる人の共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で、必要とされている習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知る限り、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の蓄積である。習慣的な能力は、常に習得に努めることが必要である。習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。 

―――ピーター・ドラッカー

習慣はあなたを形作る。

私はいま、引きこもりという怠惰の習慣から抜け切れてない。

今日、習慣化によって開いた友人との差を目の当たりにし、つらくなった。

ほんとに辛いよ。

友人はいい人で好きなのに、心から喜べなくて、ごめんなさい。

喜びより焦りや絶望が強くて、ごめんなさい。

あなたに顔向けできるほど、まだ私は自分に自信が持てない。

自分に自信がない状態で会っても、苦しいだけだ。

なので、習慣化について勉強します。

そして、実践していきます。私も身につけたい、習慣化する方法を。

習慣化が下手で失敗してきて引きこもっていたこんな私でも習慣化する力を身につけて目標達成することができたなら、誰にだって目的達成はできるってことになるはず。

いいですね、こういう思考。

「私のために」目的を達成するんじゃなくて、「みんなのために」習慣化を身につけようっておもうのって、なんだかすごく励みになります。

正直記事を書いていてとてもつらかったけれど、自分になにが足りなくて失敗したのかわかってよかったです。

では、本日の記事のまとめに入ります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

まとめ

友人は、仲間との関わりのなかで切磋琢磨し、勉強を日常化することで国家試験に合格できた。

私は、仲間を恐れ、講師に頼らず、

1人の力で成し遂げようとしたので失敗した。

そのうえ、勉強を日常化することができず、意志の力に頼っていた。

私が諦めてしまった原因は以下の2つ。

・人との繋がりを作らなかったこと

・意志の力に頼り、習慣化できなかったこと

友人が合格した理由として考えられるのは、

・とにかく「やり続けた」

・やり続けるための環境をうまく使っていた(人脈、休息)

もし困難な目標を達成したいなら(プログラミング取得、英語取得、国家試験合格…)、

・目標達成に近づけるコミュニティに属し、「自分の中で完結させない」ことを徹底すること。

・自ら「やり続けることができる」環境に身を置くこと。

・自身を追い込まず、習慣化し、自らの生活に取り込むこと。

この3つを心がけると良いだろう。

悩んでいる方々の参考になれば嬉しいです。

就活

正直、職場で働きながら毎日新しい勉強とか嫌だし、プロモーションを追っかける為に新しいオペレーションを覚えるのとか嫌だ。

できるだけ楽したい。

ストレスなんてなければないほどいい。

そんなあなたにオススメしたいのが、「ゆるい職場」です。

オフィス, ノート, メモ帳, 起業家, 手, 秘書, 雇用者, マックブック, 書き込み, ペン

私は、自他ともに認める、ゆるい職場で働いています。

私の職場がゆるいと気付いたきっかけは、友人や家族に自分の職場の話をすると「羨ましい!」と言われることが多かったからです。

でも、このゆるさの良さって、新卒で就活する人は気付きにくいのかもしれません。

そして、新卒入社した会社に満足できず、転職活動を繰り返す…

就活で後悔しないためにも、そして、自分が本当に望んでいる働き方を今のうちに見つけてもらうためにも、この記事を書きました。

就活活動の軸って本当にこれでいいのかな?

私は本当に「成長」「キャリアアップ」がしたいのかな?

そんな風に考えたことのある方、ぜひ読んでいってください。

また、ゆるい職場の良さは分かってる!けど、その職場を探すのが難しいんだよ!って方のためにも、ゆるい職場の特徴を5つあげてみました。

そういった方の参考にもなれれば嬉しいです!

私と一緒に、ストレスフリー生活を送っていきましょう~!

ゆるい職場って何?

就活の時って「その会社でどれだけ成長・スキルアップできるか」に重視しますよね。

だって、"転職が当たり前の時代"だし、会社なんていつ倒産するか分からない(と脅される)から。

でも正直、職場で働きながら毎日勉強しなきゃいけないの嫌だし、プロモーションを追っかける為に新しいオペレーションを覚えるのとか嫌だし、できるだけ楽したい!ストレスなんてなければないほどいい!!

そう思っている自分がいたりしませんか?

私は、実際にそう思って就活してました。

学生時代、某喫茶店でアルバイトしていて最もストレスだったのが、新しい商品やオペレーションを覚えることだったからです。

「なんでこんなに毎月が新しい商品出るの?」

「出勤するたび新しい情報出てくるじゃん」

「興味がないことを覚えるのってこんなに苦痛なのか」と。

自主性を求められる職場も、私にとって最悪でした。

興味がない商品がもっとお客様に愛されるための企画を考えて実施するために、サービス残業なんて絶対したくない。

とにかくやることを就業時間内に終わらせて、就業時間が終われば1分でも早く家に帰りたい。

(私は熱意を安く買う企業が好きじゃないですし、熱意を安く売るのも好きじゃないです。)

そんな風に考えていた私は、現在、自他ともに認める「ゆるい職場」で働いています。

職場で働きながら毎日勉強しなくていいし、プロモーションを追っかける為に新しいオペレーションを覚えることもないし、暇な時間は他の従業員と話してても全く怒られない職場です(むしろ推奨される)。

学生時代はスタバ、自営カフェ、カラオケ、スタートアップ企業、イベントスタッフetc.でアルバイトをしてきましたが、その中でもダントツ「ゆるい」かもしれないです。

新卒2年目にして、季節休暇を除いた有給が年間15日以上取れたり、資格勉強の必要がなかったり、"研修=同僚と仲を深める日"というのが周知だったり。

福利厚生の一環で、趣味の旅行の宿泊費用を負担してくれたり、メガネ代・コンタクト代を負担してくれたり、入院保険金をくれる生命保険を従業員にかけていたりしています。

私が思う「ゆるい職場」は、従業員同士が競争していないところです。

職場での競争は、資格取得が必須だったり、ノルマが課されていたりすることで発生します。

そういったことがない職場は、ゆるくなりがちだと思います。

私は、座談会のときに話した従業員のゆるさに惹かれて、今の会社に新卒入社しました。

ゆるい職場って、従業員からそのゆるさがにじみ出ています。

「時間に余裕があるのでたくさん話せますよ」

「一見言いづらいことも言えますよ」という雰囲気があるんですよね。

ピリピリした嫌な雰囲気が、全くありません。

競争社会は、そういったゆるさとは反対の地位にあることを、就活の前に認知しておくのが重要だと思います。

ゆるい職場がどんなもんかは分かったよ、でもそんなゆるい職場ってどこにあるの?!とお思いのあなた。

お待たせしました。

私の実体験をもとに、ゆるい職場の特徴を述べていきたいと思います。

ゆるい職場の特徴5選

①地味

これに尽きるといっても過言ではないかもしれません。

とにかく地味で、目立ちません。

地味すぎて、転職活動をしていても見つけづらいと思います。

もし見つけたとしても、その会社が売りにしているアピールポイントがつまらなそうで、あんまり惹かれないと思います。

何故ゆるい職場はそんなに地味なのか?

それでは、次の特徴を見てみましょう。

②圧倒的シェアがある、インフラ化している

ゆるい職場は、圧倒的シェアがあったり、インフラ化していて日常生活に溶け込んでいる可能性が高いです。

「この会社しかできない」

「この会社を通さないと○○ができない」

そういう会社は、ちょっとやそっとじゃ揺らぎません。

その安定性が、ゆるさを作ってくれています。

また、そういう会社は、目立つことを嫌がります。

なぜなら、その会社のその立ち位置は、目立たないことで成り立っているから。

美味しい食い扶持は、隠すものです。

見つかったら、大きい会社に食われてしまうでしょう?

見つかったら、妬まれて弱みに付け込まれて、その立場を追われるかもしれないでしょう?

なので、そういう会社は必然的に地味ですし、逆にそういう会社を狙えば、その職場はゆるい可能性が高いと思います。

③営業職がない

求人情報からゆるい職場を探す場合、営業職がない会社を探すのが一番簡単だと思います。

営業職がないというのは、つまり、営業する必要がない会社ということです。

もしくは、その会社での営業=ほとんど既客向けの対応であること。

営業職がほとんど既客向けの対応をしているというのは、既にその会社の商品はインフラ化している、という解釈ができます。

④従業員が少ない

従業員が多いと競争が発生して、ゆるい職場になりづらいです。

また、それ以上に、ゆるい職場にはそこまで人手が必要なかったりします。

③で述べた理由から営業職を雇う必要がないので、必然的に雇うべき従業員数が減るし、効率化のためにシステムを使ったり、必要に応じて外注したりすることで、結果的に従業員が少なくなります。

⑤お金に余裕がある

お金に余裕がある企業は、従業員の働きやすさを考える余裕があるし、従業員に利益を還元することができます。

会社にお金があると、余裕ができる。

余裕があれば、従業員達の雰囲気もゆるくなります。

倒産の不安もないし、売上を追うためにピリピリする必要もないからです。

その上、お金に余裕がある会社は、将来に投資ができます。

「このやり方って非効率的でストレスです。何とかなりませんか?」→「よし、改善しよう!」

これができるのは、お金のある企業だけです。

お金は大事。

まとめ

改めて、ゆるい職場の特徴5選を振り返ってみます。

  1. 地味
  2. 圧倒的シェアがある、インフラ化している
  3. 営業職がない
  4. 従業員が少ない
  5. お金に余裕がある    

まとめてみると、会社経営がうまくいっている会社は、ゆるい職場になりやすいのかもしれないということかもしれません。

また、ストレスフリーで働ければ、副業もはかどるし、趣味の活動もはかどります。

職場でのストレスなんてなければないほどいい。

そんな風にお思いの方は、ぜひゆるい職場を探してみてはいかがでしょうか。

私は現在転職を考えていませんが、もし転職するとなったら、この5つを満たす会社に転職すると思います。

それぐらい、ゆるい職場で働いていたい。

そして、興味があることに多くの時間を使いたい。

それでは、こんなもんで終わりたいと思います。

この記事が皆さんの参考になれば嬉しいです。

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