エッセイ,習慣化

1年前まで同じ国家試験を目指し、勉強を教えあい、授業も一緒に受け、一緒に夢を見ていた友人から、国家試験の1次試験に受かった、という話を聞いた。

私は国家試験の勉強に絶望し、とっくに諦めていた。

しかし、友人は本当にいい人だし、「ぜひ、合格してくれ!!」と、心から応援していた。

応援していたはずだった。だが、いざ「試験に受かった」ということを聞くのは、すこし、辛かった。

いや、かなり辛かった。

ビックリして、すごいと思って、辛いと思った。

そのあとに、ああ、喜ばなくては、と思った。

試験を諦めたくせに、なぜつらいと感じるのか?と言われたら、頑張った人と頑張っていない人の差を感じさせられるから辛いのだ。

私は、何度も言うが、家に長い間引きこもっていた。

引きこもりを脱却し、大学に単位を取りにいくために外にでるとき、強く感じたことがある。

何もしてなかった人と、何かをしていた人との差は、とてつもないということだ。

そして今日、改めてこのとてつもない差を、思い知らされている。

私とその受かった友人は、大学で知り合った。

なんなら、同じ国家試験を目指す研究室で、知り合った。

最初から、国家試験を目標にする同志だった。

だから、話題として挙がるのも当然、国家試験の話だ。

「これ受かったらどうする~?とりあえずホームパーティはしようよ!?」

「絶対高層マンションに住むでしょ?そしたら夜景ばっちしじゃん」

「ワインとかチーズとか持っていくよ」

そんな話を、いつもしていた。楽しかった。

「出張とかして、イケメン上司とワンチャンあったりするのかな!?」

「受かったらお金ウハウハだよ、旅行しまくるしかないね??」

「働きだしたらイケメンとたくさん出会えるっしょ~!!」

「合コンしまくるぞ!!」

こんな話ばっかり。こうやって一緒にばかみたいな夢をみていた。

たのしかったなぁ、本当に。

私にとっては夢物語だった。

でも、その友人は、これを現実にするんだろう。

こうやって、差はひらいていく。

その差は、「やったか」「やっていないか」だけだ。

才能とか、頭の良さとか、向いてるとか向いてないとか、そんなんじゃない。

いや、頭がいいから、やったほうがいいっていうのは分かったのかもしれないけど。

実際に「やった」人は、「やってない」人より、常に3歩先を行っている。

講師はよく言っていた。

「今点数良い人が受かるんじゃない。やり続けた人が受かるんだ。」

ほんとうに、その通りなんだと思う。

私は正直、その友人より基本的に点数や順位はよかった。

友人は、それに悩んでいたと人づてに聞いた。

私よりやっているのに、私より上に行けない、と。

でもごらんのとおり、そんなのは合否にカケラも関係がないんだ。

友人は、「私は効率的にはできないから、とにかくやるしかない」と言っていた。

その友人は、事実やり遂げたんだろう。

私が、足を止めている間に。

「やったか」「やってないか」

これだけ。簡単な話。

涙が出そう。簡単だなぁ、ほんとうに。

しかし、そうやって簡単な話だと思い込んで、「サクセスストーリー」と「挫折人生」に落とし込んで納得するにはまだ早い。

なぜ友人は合格できたのか?

なぜ私は、諦めてしまったのか?

これをハッキリさせないと、私はまた同じような失敗を繰り返してしまうだろう。

それは、もう、したくない。

同じ過ちはしない。

それを信条に生きているので、つらくても、分析します。

なぜ友人は合格できたのか?

上記で言った通り、「やった」「やらなかった」

試験や資格においては、これがすべてだと私は思っている。

なぜ友人が合格したか、それは、継続して「やった」からだ。

では、質問を次の展開に進めよう。

なぜ、友人は「やり続ける」ことができたのか?

まずは、私と友人の相違点を挙げていこうと思う。

友人

  • 国家試験勉強における人脈を広げていた
  • 朝から勉強をしていた
  • 気分転換をよくしていた(友人と会ってご飯する、友人と話す)
  • 気分転換の次の日は、しっかり勉強していた
  • 友人に国家試験の勉強をしていることを宣言していた
  • 長期的に勉強から離れることをしなかった
  • 優先順位をつけていた(大学の授業は全くでない代わりに勉強する等)
  • 1日まるまる休むことは滅多になかった

  • 国家試験勉強における人脈を狭めたかった(嫌でも比べてしまい、辛かった。自分がどう評価されているのか、気にしていた。)
  • 朝から勉強することは滅多になかった
  • 気分転換ができなかった(勉強をしていないというのが恐ろしい。頭の中に勉強時間を考える自分がいつも居て、完全に勉強から離れられなかった。)
  • 気分転換が長続きしてしまっていた(1日休むと、連続して3日休んでしまう)
  • 友人に国家試験の勉強を宣言しなかった(逃げられるようにしておくため。もし合格しなかったら恥ずかしい。)
  • 長期的に勉強から離れた(そして戻れなくなった)
  • 優先順位をつけていた
  • 1週間に1日は、まるごと休む日がほしかった

私はこの中で、以下の2つの点をピックアップしたい。

・人脈

・習慣化

人脈の重要さについて

最近気づいたことだが、人脈とは、継続において重要なポイントである。

人というのは不思議なもので、人との繋がりがあると、頑張ることができるのだ。

私の知っている人で、国家試験に受かっている人はみんな、仲間と励ましあい、切磋琢磨している人しかいない。

人との関わりを避けている人は、合格しているイメージがない。

合格する前に、諦めてしまうのだ。私のように。

また、人との関わりを避けると、独自の道を進んでしまう。

問われない論点に集中したり、また、難しすぎる問題に集中するあまり、解けなくてはならない問題まで手が回らなかったりする。

そうすることで、合格から遠ざっていく

あなたが、1人で「成功しよう」と考えてるとする。

しかし、もし成功しなくても、その責任はあなた1人で足りる。

「成功しなくても被害は私だけ」だから、諦めやすいのだ。

足を洗いやすいのだ。

しかし、チームで「成功しよう」と考えてるとしよう。

もし成功しないと、その責任はチーム全体に及ぶ。

その責任感から、1人で成し遂げようとする人より、頑張れる。

そして、諦めにくい。

だから、仲間と切磋琢磨するというのは正しい方法だと思う。

そして、自分が分からないことは仲間に聞く、というのもいい方法だ。

とにかく、「自分の中で完結しないこと」が大事だ。

なんでもいい。

「ここわかんないんだけど、わかる?」

「これね!私もわかんなかった。先生に聞きにいかない?」

こんなやり取りでもいい。そうやって、一緒に頑張っていければ。

そして、「この人に負けられない」

そういう気持ちがあれば、人は成長していけるのだと思う。

私は、人脈が広がることを避けたがった。

私よりすごい人がいることに耐えられなかったからだ。

私が今日、6時間勉強したことに達成感を得ていても、当然のように8時間勉強している人がいることに耐えられなかった。

そして、その2時間の差を、「まあ大丈夫っしょ」と楽観視できる人でもなかった。

今日平均点以上が取れていても、明日も取れるとは思えない人だった。

そして、平均点以上では満足できない人だった。

テストで9割取るために、がむしゃらで無鉄砲な計画を立てた。

その計画は当然のごとく達成できず、「私はなんて無力なんだ」と感じる人だった。

いまなら、どうすればよかったのかわかる。

自分の勉強法を疑ってしまうなら、講師を頼ればよかったのだ。

講師が頼れないなら、先輩を頼ればよかったのだ。

自分の立てた計画がダメだったなら、

それもまた講師に聞けばよかったのだ。

自分の取った点数以上の点数が取りたいなら、

講師に直接聞けばよかったのだ。

「どうしたらこれ以上の点数が取れるようになりますか」と。

これだけだった。

自分の好きな講師を頼れば、もっと簡単な話だった。

それを、素人なのに自分で計画を立て、勉強法を考えて実行した。

当たり前だが、思うような成果が上がらず、結果、自己嫌悪におちいってしまった。

こうして私は、「正しい道」ではなく、「正しいと思い込んでいる道」を歩んでしまった。

「正しい道」は、専門家や人との繋がりで見つけるものだ。

「正しいと思い込んでいる道」は、1人で作り上げるものだ。

教訓:「このやり方で合っているのかな?」一瞬でもそう思ったら、専門家にすぐ聞こう。

習慣の重要さについて

では、私が諦めてしまったのは、人に頼ることをしない上に、友人より意志が弱かったからだろうか?

人脈も諦める一因であったとおもう。

しかし、意志は全く関係ないだろう。

というのも、私も彼女も本気で、国家資格を取得しようとしていた。

そして彼女は合格し、私は既に国家資格を諦めている。

この違いは何か?

私は、友人と違って、「習慣化」ができなかった。

試験勉強を、日常に組み込むことができなかったのだ。

そして、意志の力に勉強をゆだねてしまった。

これが、彼女と私の決定的な違いだ。

朝起きて、「今日勉強する?」と考え、「うん、しようか」

これが、意志の力にゆだねるということ。

勉強の習慣化というのは、当たり前のものとして勉強をすることであり、勉強する前に「今日勉強するか?」という問をしないこと。

意志の力に頼るというのは、継続しない。

そのときの気分に左右されるからだ。

一方で、習慣に気分は関係ない。

あなたが歯を磨くとき、「今日は歯を磨こうか?」とは考えないはずだ。

気分が乗らないから歯を磨かない、なんてことはないだろう。

その問をなくして、すでに行動にうつしている。

私は「勉強するかどうか」を、意志の力にゆだねてしまった。

それが諦めることにつながった大きな原因だった。

ていうかほんとそうじゃん。私、習慣化、下手なんだ。

ダイエットも、短期的には成功した。

でも、常に45kgでいられたかって言われたら、無理だった。

ランニングは、2か月が最長だった。

スクワットも、気付いたら辞めていた。

ああ、いますごく思い知らされました。

私が習慣化があまりに下手だということを。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

―――マザーテレサ

 人の本性はみなほとんど同じである。違いが生じるのはそれぞれの習慣によってである。 

―――孔子

 成果をあげる人の共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で、必要とされている習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知る限り、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の蓄積である。習慣的な能力は、常に習得に努めることが必要である。習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。 

―――ピーター・ドラッカー

習慣はあなたを形作る。

私はいま、引きこもりという怠惰の習慣から抜け切れてない。

今日、習慣化によって開いた友人との差を目の当たりにし、つらくなった。

ほんとに辛いよ。

友人はいい人で好きなのに、心から喜べなくて、ごめんなさい。

喜びより焦りや絶望が強くて、ごめんなさい。

あなたに顔向けできるほど、まだ私は自分に自信が持てない。

自分に自信がない状態で会っても、苦しいだけだ。

なので、習慣化について勉強します。

そして、実践していきます。私も身につけたい、習慣化する方法を。

習慣化が下手で失敗してきて引きこもっていたこんな私でも習慣化する力を身につけて目標達成することができたなら、誰にだって目的達成はできるってことになるはず。

いいですね、こういう思考。

「私のために」目的を達成するんじゃなくて、「みんなのために」習慣化を身につけようっておもうのって、なんだかすごく励みになります。

正直記事を書いていてとてもつらかったけれど、自分になにが足りなくて失敗したのかわかってよかったです。

では、本日の記事のまとめに入ります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

まとめ

友人は、仲間との関わりのなかで切磋琢磨し、勉強を日常化することで国家試験に合格できた。

私は、仲間を恐れ、講師に頼らず、

1人の力で成し遂げようとしたので失敗した。

そのうえ、勉強を日常化することができず、意志の力に頼っていた。

私が諦めてしまった原因は以下の2つ。

・人との繋がりを作らなかったこと

・意志の力に頼り、習慣化できなかったこと

友人が合格した理由として考えられるのは、

・とにかく「やり続けた」

・やり続けるための環境をうまく使っていた(人脈、休息)

もし困難な目標を達成したいなら(プログラミング取得、英語取得、国家試験合格…)、

・目標達成に近づけるコミュニティに属し、「自分の中で完結させない」ことを徹底すること。

・自ら「やり続けることができる」環境に身を置くこと。

・自身を追い込まず、習慣化し、自らの生活に取り込むこと。

この3つを心がけると良いだろう。

悩んでいる方々の参考になれば嬉しいです。

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